2005-01-01から1年間の記事一覧

振り返れば

昨年の今ごろ,『僕は勉強ができない』という小説の一節に思うことがあった【id:somamiti:20041113】.テツガク的な思弁をいくら弄したとしても痛みや苦しみには克てない.私の言葉や認識には肉体が先立つ.肉体があってはじめて認識がある.‘私には他人の気…

地平線

先日のメモ(id:somamiti:20051225)の続き:デカルトのコギトにおける「無限」,あるいは人の気持ちが「わかる」ことにかんする連想【参照:id:somamiti:20051210】.「無限」も「わかる」ことも経験によっては到達することができない,という発想から.

認識と地平線(KDRV)

今年は『純粋理性批判』を読むことで一年が過ぎたようにおもいます.

陽性適中率

Xという病気がある.ある時点においてXに罹っている人は1000人に1人の割合でいる(Xの有病率は1/1000).ある人がXという病気に罹っているかどうかを調べるための検査Pがある.その病気に罹った人を検査した場合は98%の確率で陽性の結果が出る(感度 sensit…

100%

冬期休暇にはいりました.先日購入した『ゲーデル,エッシャー,バッハ』(GEB)を読んでいます.パズル付きの論理学副読本といった印象. - 数日前の講義で診察と臨床検査にかかわる話を聴く.胸部X線や血液の分析などの検査はあくまで補助手段であり,大切…

境界例と治療者の欲望

境界例(境界性人格障害)においてみられる諸現象は,乳幼児が原初的な全能感の喪失を受け入れ主客未分化な二者関係を断念するときに生じる困難の,ある種の再現である. 境界例者の言動の背景には主客未分化な二者関係に立ち戻ろうとする激しい欲望がある.…

関係

雪が白くて夜が明るいですね. - 消化器のコースが始まり2週間ほどが過ぎ,予備知識の少なさにレポートも遅々として進みませんが,まあ長期戦の構えで. - 先日,境界例(境界性人格障害など)の治療についての話を聞きました.本日のメモはその抜粋.‘主客…

播種

名づけえぬものに緩やかに近づき、散在するのか、乳母よ あなたは(高貝弘也「播種の鎮魂」より) - 週末は消化器の試験その1.とりあえず癌はおそろしい.しかし潰瘍性腸炎や腸閉塞もおそろしい.そんな日々.

神の観念と「わかる」こと

デカルトは第三省察における神の存在証明のなかで,無限は有限の否定によって考えられるのではないと述べる.無限者(神)についての認識は有限者(私自身)についての認識よりも先立つものであることを「私は明白に理解する」.このことは以下の(1)-(3)…

しばらくまえにレポート課題として提示された症例にかんするメモ. - リエゾン精神医学の症例 Uさん.糖尿病でインスリン依存状態にある.コントロール不良で2週間前に入院.2年程前にナイフでの手首自傷行為,身体疾患にもとづかない心悸亢進,呼吸困難をみ…

now-here

心理療法のなかにゲシュタルト療法というものがある:

分裂病のはじまり

1950年代の精神医学の現状と,コンラートの研究スタンスについて.私的読書メモ: -

ゲシュタルト?

「分裂病のはじまり」を一通り読了する.非常に面白かった.研究の内容もさることながら,研究をおこなううえでのスタンスに強く共感した:単なる自然科学的(生物学的)な研究とも,人文科学的研究(哲学的な,あるいは人生史との関連づけによる症状の解釈…

遅れてきた青年

レオノール・フィニ展をみにゆく.お気に入りな作品は以下のとおり:「横たわる女」「移りゆく日々」「二つの頭蓋骨」「庭での眠り」「夢から醒めても」「大いなる川渡り」.

餅は餅屋

近年,統合失調症は軽症化の傾向にあるらしい.すくなくとも臨床に携わっている方々の印象としては確かなことらしい.一つには薬物療法などの進歩がその理由かもしれない.しかし,それだけでは,そもそも精神科を受診するときの状態像そのものが軽症化して…

臨床の知とモナド

先日,音楽療法関連の公開セミナーにて河合隼雄さんの講演を聞いた.講演は‘臨床の知’というテーマにかんするもの.臨床の知とは科学の知の対極にある知である.

デカルト的

精神がその機能を直接に働かせる身体部分は,けっして心臓ではなく,また脳の全体でもなく,脳の最も奥まった一部分であって,それは一つの非常に小さな腺であり,…… (「情念論」31) - 先日,画像診断の講義の余談でバッハの頭蓋骨のスライドをみた.講師…

主観と客観

主観 Subjekt,subject,sujet は今日一般には認識(知覚や思考)機能の担い手を意味し,それによって認識される客観 Objekt と対をなす. Subjekt はラテン語の subiectum,また Objekt はラテン語の obiectum のドイツ語化されたものであり,それぞれギリシ…

objective

先日,術中モニタリングにかんする講義があった.そのとき聞いた‘術中モニタリングには術者一人のカンに頼らない客観的な手術を可能にする意義があるのだ’という見解に‘なるほど’と感じた.術中モニタリングによって,たとえば手術用顕微鏡下の術野をモニタ…

記号操作と直観(KDRV)

【ここからが面白いと感じた】

対象が量か質かの違いではない

数学の認識対象は「量」であり,哲学のそれは「質」である.それが両者の違いだという論者がいるが,その考えは間違っている.数学と哲学のそもそも違いは認識の形式の違いであり,対象の違いはその結果にすぎない. 数学的認識の対象は量 quantity であるの…

数学と哲学の違いは

数学では経験に依存することなしに学問的な認識を広げることに成功している.ある種の哲学では数学の方法がマネされる.そうした哲学の方法を独断的方法とよぼう.独断的方法は数学のようには成功しない.なぜなら哲学と数学ではそもそも認識の方法が違うか…

数学と直観(KDRV)

純粋理性批判,先験的方法論,第一章 / テーマ:数学と哲学の比較 / 主張:哲学は数学のマネはできない.

数学的嗜好(続)

限りの無い自然や宇宙全体を考えてみよう.そのとき,私たち人体はいわば一つの点である.一方,ダニや原子などを考えてみよう.このような,到達できないような微小な点からすれば,こんどは人体そのものが限りの無い全体となる.このような「無限と無限の…

バベルの図書館(第二階)

「バベルの図書館」は「不定数の,おそらく無限数の回廊で成り立っている」という広大なもので,「永遠を超えて存在」し,その書棚には「おなじ本は2冊ない」.一方,あらゆる本は「行間,ピリオド,コンマ,アルファベットの二十五字」という構成要素から成…

数学的嗜好

本についての話など.

ラノバナ

海の向こうのオリエンタルな色,あるいは国境の向こうの野蛮な色,あるいは夜や死の色であった青が,まさにその遠さゆえに,今度は空の彼方の神の領域を表わすことになるわけです.青は,色のなかにあり,また,色の外にある.いや,一言で,青は「外」の色…

語りそこなう

そういうわけで,私がこれから自分の生をしめくくるつもりでこれまで生きた全体をスケッチするとしたら,それは徹底して複雑な入れ子細工の箱となって,引用のなかの引用の,また引用の,という様相を呈するのではあるまいか? (私という小説家の作り方 (新…

超越論的/超越的

- 超越論的 transzendental な認識とは,「対象に関する認識ではなく,私たちが一般に対象を認識する仕方に関する認識」【B25】である.対象の認識やその正誤といった具体的な,オブジェクトレベルではなく,そのメタのレベル,すなわち「一般に,我々が対象…

モデルとハード

居場所はあるぞ,私もおまえも.今ここに居るぞ.自分で自分が居ないとは思えないだろう. - 自我は「超越論的仮象」の1つとされる.それは錯視などの「経験的仮象」と異なり,人間の認識能力にとって自然で不可避な‘錯覚’である. 自我が「超越論的仮象」だ…