記号操作と直観(KDRV)

【ここからが面白いと感じた】

ところで数学は、幾何学におけるように外延量(quantum)を構成するぱかりでなく、また代数学におけるように純粋な量(quantitas)をも構成する。しかし代数学の場合には、数学はかかる量概念に従って考えられる対象の性質をすぺて度外視する。そうしたあとで代数学は、純粋な量一般(数)の種々な構成をそれぞれ表示するところの或る種の記号を選択する、例えば加法や減法その他であるとかまた開平の記号などである。こうして量の一般的概念が、量の種々な関係に従って記法されると、量を産出しまた変化させる一切の操作を、或る一般的規則に従い直観によって現示する。従って或る量を他の量によって除する場合には、これらの量を表示する文字を除法記号で結合するのである、等等。それだから代数学は、幾何学における(対象そのものの)直接的即ち幾何学的構成とまったく同様に、その記号的構成によってよく効果を収めることができる。これに反して論証的認識は、単なる概念だけによる認識であるから、とうていここまで到達することはできないのである。
(B745)

この箇所における幾何学代数学との比較は,数学一般にたいするカントの考え方をあきらかにするものであるように感じる.代数学は「量を産出しまた変化させる一切の操作を,ある規則にしたがって直観によってプレゼンテーションする」.代数学では「記号的構成」がなされる.それは「幾何学的構成」とは異なる.しかし,ともに“目に見える形で”なんらかの認識(推論,思考)のプロセスそのものをプレゼンしてみせることができる点では共通している.

このような考えは直観的証明(B762-B763)について述べた箇所でも繰り返される:

代数学の方法は記号による構成である).我々はこの構成において概念を――それも特に量相互の関係 relation の概念を――記号によって直観的に表示するのである.この場合……,推論は誤謬を犯す心配はない,――というのは,どんな誤謬でも直下に露呈されるからである.

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The method of arlgebra is a kind of construction in which all conceptions are represented in intuition by signs ; and thus the conclusions in that science are secured from errors by the fact that every proof is submitted to ocular evidence(代数学の方法ではあらゆる概念は記号による直観において表示される.そしてそれゆえに代数学の論証は誤りから守られている.それはすべての証明が視覚的な明証性 ocular evidence のもとに置かれていることによる).

【明証の原語 Evidenz は,語源的には,「ex 外へ」と「videre 見る」から来ている.『デカルト的省察 (岩波文庫)』第一省察,訳注11】.

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数学の明確性は定義,公理,証明にもとづく.これらは数学的な意味では哲学において用いられるものでも,真似されるべきものでもない(B754-755).
直観的証明 Demonstration とは,必然的 apodiktisch な証明が対象の直観によってなされるものである.この直観的証明は数学だけに許される.数学では普遍を具体的に in concreto(個々の直観において in an individual intuition),ア・プリオリな純粋表象 representation によって考察することができるからだ.
経験による認識はあるものが何であるかは教えるが,それが必然的であることは示さない.また,論証におけるア・プリオリな概念は必然的ではありうるけれども,直観的確実性 intuitive certainty すなわち自明性 Evidenz, evidence はもたらさない(B762)
哲学的証明はあくまで概念的(論証的)な証明である.ここで普遍は抽象的に(概念によって)考察されるだけだ.哲学に数学のかっこうをさせて権威づけをしてはならない.それは哲学の本分を見失うことでもある:「哲学の旨とするところは,自分の本来の限界を誤認する理性のまやかしを発見し,我々の概念を十分に解明して,思弁の自負を控え目でしかも根本的な自己認識に引き戻すにある」(B763)

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