2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

分裂病のはじまり

1950年代の精神医学の現状と,コンラートの研究スタンスについて.私的読書メモ: -

ゲシュタルト?

「分裂病のはじまり」を一通り読了する.非常に面白かった.研究の内容もさることながら,研究をおこなううえでのスタンスに強く共感した:単なる自然科学的(生物学的)な研究とも,人文科学的研究(哲学的な,あるいは人生史との関連づけによる症状の解釈…

遅れてきた青年

レオノール・フィニ展をみにゆく.お気に入りな作品は以下のとおり:「横たわる女」「移りゆく日々」「二つの頭蓋骨」「庭での眠り」「夢から醒めても」「大いなる川渡り」.

餅は餅屋

近年,統合失調症は軽症化の傾向にあるらしい.すくなくとも臨床に携わっている方々の印象としては確かなことらしい.一つには薬物療法などの進歩がその理由かもしれない.しかし,それだけでは,そもそも精神科を受診するときの状態像そのものが軽症化して…

臨床の知とモナド

先日,音楽療法関連の公開セミナーにて河合隼雄さんの講演を聞いた.講演は‘臨床の知’というテーマにかんするもの.臨床の知とは科学の知の対極にある知である.

デカルト的

精神がその機能を直接に働かせる身体部分は,けっして心臓ではなく,また脳の全体でもなく,脳の最も奥まった一部分であって,それは一つの非常に小さな腺であり,…… (「情念論」31) - 先日,画像診断の講義の余談でバッハの頭蓋骨のスライドをみた.講師…

主観と客観

主観 Subjekt,subject,sujet は今日一般には認識(知覚や思考)機能の担い手を意味し,それによって認識される客観 Objekt と対をなす. Subjekt はラテン語の subiectum,また Objekt はラテン語の obiectum のドイツ語化されたものであり,それぞれギリシ…

objective

先日,術中モニタリングにかんする講義があった.そのとき聞いた‘術中モニタリングには術者一人のカンに頼らない客観的な手術を可能にする意義があるのだ’という見解に‘なるほど’と感じた.術中モニタリングによって,たとえば手術用顕微鏡下の術野をモニタ…

記号操作と直観(KDRV)

【ここからが面白いと感じた】

対象が量か質かの違いではない

数学の認識対象は「量」であり,哲学のそれは「質」である.それが両者の違いだという論者がいるが,その考えは間違っている.数学と哲学のそもそも違いは認識の形式の違いであり,対象の違いはその結果にすぎない. 数学的認識の対象は量 quantity であるの…

数学と哲学の違いは

数学では経験に依存することなしに学問的な認識を広げることに成功している.ある種の哲学では数学の方法がマネされる.そうした哲学の方法を独断的方法とよぼう.独断的方法は数学のようには成功しない.なぜなら哲学と数学ではそもそも認識の方法が違うか…

数学と直観(KDRV)

純粋理性批判,先験的方法論,第一章 / テーマ:数学と哲学の比較 / 主張:哲学は数学のマネはできない.

数学的嗜好(続)

限りの無い自然や宇宙全体を考えてみよう.そのとき,私たち人体はいわば一つの点である.一方,ダニや原子などを考えてみよう.このような,到達できないような微小な点からすれば,こんどは人体そのものが限りの無い全体となる.このような「無限と無限の…

バベルの図書館(第二階)

「バベルの図書館」は「不定数の,おそらく無限数の回廊で成り立っている」という広大なもので,「永遠を超えて存在」し,その書棚には「おなじ本は2冊ない」.一方,あらゆる本は「行間,ピリオド,コンマ,アルファベットの二十五字」という構成要素から成…

数学的嗜好

本についての話など.