パターンと個別応答

「かわいそうな女の子」はトラウマや力を捨てたくないのだという解釈には解釈者の内面,解釈者の視点が投影されているだろう.すべては「かわいそうな女の子」の動機が問題だ,というのはとても安易な考え方だ.トラウマや力を欲したのは私でもあるはずだ(だからこそトラウマが私にむけて語られる).
「ちゃんと見ていてください」という声をあるパターンの個別例として把握する.すると眼の前のひとを「ちゃんと見ている」ことはできなくなるだろう.愛や受容という“正解”をもって満足するのなら,そこには空虚さがともなうだろう.あなたを愛します.なにがあろうとあなたを受容します.それもまた幾度も繰りかえされる一つのパターンにすぎない.パターンに従いあなたは誰にでもそう返事をする.だから,あなたの言葉は眼の前のこの私への応答ではない.特定の誰かに対する語りかけではないのだから,それはただの独白なのかもしれない.だから,言葉やお約束は拒絶され,実際のハプニングや行動によって試される(行動化,acting out)のかもしれない.
どこの誰でどんな体験をしてきたのかは“本質 essence”ではなく,たいせつなことは眼の前にある exist もの(実存,existence)を見ること.仮にそうだとしても眼の前にあること(event,出来)を見るということは,その人がもつ症状や体験への拘りにつきあうことや「ありがちな悩み」のひとつひとつを丹念にとりあげることを通じてはじめて可能になるものかもしれない.
全体の性質は部分には還元できない.とはいえ積み重ねの一つ一つは無ではなく,そのような対応の寄せ集めが一つの総体として「ちゃんと見ていてください」という叫びへの応答になるのだろう.

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(とはいえ,呼びかけと応答とがトラウマによってのみ成り立つものならば,訴えるすべをトラウマ語り以外にもたないのであれば,トラウマは捨てがたいもの*1となるだろう.そしてトラウマ語りがなされつづけることになる.)

*1:連想:捨てがたいもの,ライナスの毛布.移行対象