2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

確定記述の周辺

先日の日記に“この私”は私のもつ属性(性別,学歴,職業,年齢,趣味,……)の総和ではないという旨のことを記した.なぜなら“この私”はかけがえのない存在だから.とまあそれだけならよかったのだけれども,そこで集合などという用語をもちだしたのが下手の…

意味と無意味

哲学的意味がありますか? - 『からくりからくさ』ISBN:4101253331.「りかさん」と呼ばれる個物はたしかに「ここ」にいるのであるけれども同時にその魂はお祖母さんを見送りに「あちら」にいったきりのようでもあり,かとおもえば個物であるはずの「りかさ…

哲学入門?

「先生それって固有名(固定指示子)と属性記述とにかんするお話ですか」 「属性記述とはなんのことですか」 - 物語やフィクション,キャラクターやゲームのことばかり考えていたころ,いきおい余って『名指しと必然性 Naming and Necessity』という哲学本に…

皮膚と心

兄さんが死んだので,私たちは幸福になりました. - 試験も終わったし連休だし,というわけでケーキ屋さんでケーキを買ってきて食べる.まことにおいしかった.これまでケーキの類いはコンビニでしか買ったことがなかった. - ここしばらく皮膚科の講義をう…

きのこのこころ

ある朝,路傍の丸太に満月のような茸が生えているのを見た.夕方,それは黒々としなびた姿を路上にさらしていた. - 心は何所にあるのか.それはもちろん脳にきまっている.私たちは自分の意識状態をリカーシブ(再帰的)にモニタすることができる.すなわち…

本質,実体

「本質」や「実体」という言葉にかんして.アリストテレス『形而上学』出隆訳,岩波文庫の訳注を参考に. 理性によって認識される「本質」あるいは「形相」とは「〜〜はそもそも何であるか」という問いの答えだったらしい.そういえば「カテゴリー」という語…

直観など

「知覚」とりわけ「見る」ことと「見られたもの」としての「形」――「見る」ことによる「エイドス」の認識.この図式が「直観」という概念を介して横滑りし,「理性」による「本質」の認識という図式となる. 知覚ひいては認識とは,まずは「見る」ことだとい…

エイドスなど

『現象学事典』の「エイドス」「スペチエス」「本質」といった項をみると,これらがみな「見る」ことに関連していることがわかる.また「知覚」「直観」「イデアチオン」といった事柄もまた「見る」ことをモデルとしているようだ. それにしても「種」を意味…

追記

では三角形一般が「語り存在」であるとして,私たちがそのような語り方を習得するのはどのようにしてなのか.普遍や一般が言語使用において言語的に意味制作されるとして,そのような言語使用はそもそもどのようにして可能になるのか. 「語り存在」といわれ…

大森とフッサール(2)

あなたの国はとても美しいけれど,でも好きじゃないんです. - 「フッセルは自分で幽霊を作り上げてそれとたたかっているように見える」という大森の見解にかんする覚え書.いつも以上に長文. - 上記の見解には共感をおぼえる.それはもちろんフッサールに…

危機第9章,幾何学(2)

要旨は以下のようになるだろうか:フッサールは「自然の数学化」と「幾何学の空洞化」を批判する.イデアな世界を知るための幾何学を無批判にリアルな世界にあてはめるから幾何学の描き出すイデアな世界を自然の真の姿ととりちがえてしまう.そのうえ代数学…

危機第9章,幾何学

大森によれば,フッサールはたとえば『危機』において「経験世界での測量や計測が精密化されたのが幾何図形」であるとしたらしい.どういうことか. (関連:id:somamiti:20060901) - フッサールによれば,幾何学の根源は測量術(測定術,測地術)である. …

第六研究,存在

(モノゴトにかんする知覚や判断は,なんらかの形式 form にそって形づくられ表現される.たとえば「このカゴのなかにひとつのトマトがある」などとして.この表現では「がある」「ひとつの」「この」といった形式が用いられている.「がある」「ひとつの」…

存在モノ語り

存在するモノは言語の外に存在する.けれども存在の意味は,存在するものについての語りのなかにこめられている.この存在の意味はあくまで文脈的なものであり,辞書的定義のかたちではない.ある人の存在(存在の意味)にかんする知り方(知識にせよ知覚に…

大森とフッサール

幾何学にかんする大森のフッサール批判,ひいては「フッセルは自分で幽霊を作り上げてそれとたたかっているように見える」という大森の見解について考えるために『論理学研究』におけるフッサールのバークリー批判(id:somamiti:20060830)を読む.【関連:i…