2004-12-01から1ヶ月間の記事一覧

オートポイエーシス(2)

今の時点での理解: オートポイエーシスの特徴は生物じみたシステムを「入力も出力もない」ものとして把握することにある。そして、そこでは「システムの作動を内的に捉える」視点がとられる。 一方、従来のシステム論はシステムの作動を、システムの「外」に…

境界

「オートポイエシス」とその背景であるシステム論についてざっとまとめた.以下,「境界」と関連の深い記述をメモ書き的に記す.( )内は『オートポイエーシス』のページ数.

神経系モデルと視点の転換

「入力と出力の不在」こそ「マトゥラーナが「オートポイエーシス」という言葉に込めた決定的な分岐点」である

 オートポイエーシス

オートポイエーシスが議論の焦点の1つとしているものに,「境界」がある.自己の境界はどこにあるのかと問うさいの境界である.口の中に雑居する60億個の細菌は,自己の内なのか外なのか.腸の中に住む百億個の雑菌は自己の内なのか外なのか.酸素を吸着する…

知の欺瞞

時がたつにつれ,ラカンの著作は,言葉遊びと断片化された統辞法をないまぜにすることで,ますます判じ物めいてきた.これは多くの聖典に共通する特性である.そしてこれらのテクストが,弟子たちによる敬虔なる教義解釈の基礎となっていくのだ.こう見てく…

片付け

『熊の場所』を読む.「ピコーン」と『阿修羅ガール』には同じような主題が読みとれる.‘無意味’な死と,それを意味づけるものとしてのオカルトや宗教や儀式(『煙か土か食い物』にもそうした主題を読みとるのは可能なようだ) - 患者ないしクライエントの‘…

美とセンス

ある食べ物が美味しい’という判断を,ただ個人の好き嫌いにかかわることとして終わらせない場合,たとえば「美食」や「食通」としてその判断を通用させる場合,「これは美味しい(美しい)」という判断が他の人々の賛同を得ることが必要になってくるようだ。…

結核

以前,学校の授業で結核について話を聞く. - 結核の流行は産業革命ならびに近代化・都市化と連関している.結核という病は古来よりあった.しかし離散して生活を営んでいる集団にあっては,ある場所での結核菌の繁殖も,1つの家族や1つの村落のうちにとどま…

名も無き夜のために

たとえば,心臓のない恋人同士のこと.はてしなくリズミカルに,お互いの体の一部を摩擦しつづける恋人たちのこと.心臓のない彼らはそうでもしていないと,血行が止まってしまうのだ.二人は休みなく愛撫しつづける.互いに相手の心臓になって,初めも終り…

夢幻

夢の終りに誰かと一緒に坂道を下っている.坂道はちょっとした崖に面しており,そのガードレールの向こうには野原と池と学校とが眺望できる.夢のなかでふと気がつく.この光景は子どもの頃によくみていた.この坂道を下りその先のカーブを曲がるとワタシの…

ライ麦畑でつかまえて

『ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)』を読む.なんというか,きれいな情景を喚起させてくれる小説は好きだ.とくに語り手ホールデンの妹のフィービーが回転木馬にのってまわりつづけるその情景.「ただ,フィービーが,ブルーのオーバーやなんかを着て…

離人症

離人症の病理,それはたとえば主我(見る自分)と客我(見られる自分)の乖離だとされる.自分の体が,感情が,行動が自分のモノではない,自分が為していることではない,自分は感じることができない,などという病者の語りにあらわれるのは,病者が「自分…

離人症、ほか

フロイト様の『精神分析入門』第27講「感情転移」より 医師に対して患者が情愛的に結びつくという事実が,いつもくりかえされます.たしかに,どんな誘惑も存在しないと判断される場合でさえ,くりかえし,そうした事実が現われるのです.こうなりますと,こ…

文系のための数学教室

『文系のための数学教室』では終章でウィトゲンシュタインやハイデガーがとりあげられていたことが興味ぶかかった. ハイデガーとウィトゲンシュタインの思想の通底性からハイデガーの〈存在論〉を数学の「価値」についての論に結びつけ,そこからさらに,〈…

界面と内面 メビウスの帯

メビウスの帯は,半ひねりを加えたあとで閉じたベルトとして表わすことができる.この奇妙な曲面はたった一つの面とたった一つの縁しかもたないという特性をもつ.表と裏が連続しているこの帯は,無意識と意識的ディスクールとの関係を表す. 帯の中央を縁と…

風景

ある集合について可能である部分集合のすべてを集めた集合であるところの集合すなわちベキ集合,などという記述のイメージ化を試みるうちに眩暈.眠気.夢うつつに猫の声をきく. プラトンはアカデメイアの門に数学(幾何学?)を知らざるものこの門をくぐる…