オートポイエーシス

オートポイエーシスが議論の焦点の1つとしているものに,「境界」がある.自己の境界はどこにあるのかと問うさいの境界である.口の中に雑居する60億個の細菌は,自己の内なのか外なのか.腸の中に住む百億個の雑菌は自己の内なのか外なのか.酸素を吸着する肺細胞の一歩手前は,内なのか外なのか.いったいどのようにして自己の境界を考えたらよいのか.
そして何よりも自己を本質や本体の側から規定していくのではなく,また自己が決定されずさまざまに変貌していくというのでもなく,オートポイエーシスは境界をみずから作り出すことによって,そのつど自己を制作すると考えるのである.自己(オート)制作(ポイエーシス)とは,この境界の産出にかかわっているのである.
河本英夫オートポイエーシス―第三世代システム青土社, 1995,p.11.

 「システム論は,生命科学から機構上の知見を借り受け,数学から表記上の技法を借り受けた理論であり,それらを論理として普遍化した構想のことである」.【たとえば生理学のテキストに記されているホメオスタシスやネガティブ・フィードバック・システムなどの概念は,システム論的な概念だといえるだろう.それらは普遍化されて機械の制御システムに応用されたりもする】
 『オートポイエーシス』ではシステム論は3つの世代に区分される:
 第1世代は「開放性の動的平衡システム」をあつかう.
 そのモデルは「物質代謝をする有機体」である.有機体は外界(環境)と物質やエネルギーのやり取りをしながら自己を維持するシステムであり,環境条件の変動(外乱)に抗してその自己維持は保持される:システムは外部とのインプット,アウトプットという流れのなかでホメオスタシスを維持する.【たとえば循環系は開放系の動的平衡システムとしてモデル化される.例:出血などによって血液量が変化しても,循環血流量は神経系や内分泌系を介した代償機構によって補償され,かなりな程度まで維持される.それについて,心臓と血管における血流量の減少を循環システムのアウトプット,出血による血液量の減少をシステムへのインプットとみたて,アウトプットがある変換(関数)をうけて‘次の時点’でのインプットから‘マイナス’されるというネガティブフィードバックループにより,インプットがアウトプットにもたらす作用は‘圧縮’される,などというモデル化がそれである】

 第2世代は「開放性の動的非平衡システム=自己組織システム」をあつかう.
 モデルは成長しつづける結晶や発生胚である
:「結晶は溶液中から突如析出し,環境条件に対応して形態を変化させながら成長を続ける.また発生胚は未分化な全体から分節を繰り返し,部分の成立と同時に部分間の関係が成立する」. システムはそれ自体で秩序の形成を行い,一定の環境条件下で「自己」そのものを「組織化」する.【第1世代システム論は既に定まっているシステムの維持(平衡)をとりあつかうもの,第2世代システム論はシステム(自己)の組織化するプロセスをとりあつかうものといえるだろう】

 第3世代システム論がすなわち「オートポイエーシス」である.そのモデルは神経システムである.

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 オートポイエーシスの概念はマトゥラーナとヴァレラにより「オートポイエーシス――生命の有機構成」(1972)という論文で提示された.しかし「この論文は一読して何を言っているのかただちにはほとんど理解できない.新たな生命の機構が提示されているにもかかわらず,それがどのようなものであるかが行文の全体からはつかめない」.【まったくである】

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 ともあれ,「オートポイエーシス」の4つの特徴は自律性,個体性,境界の自己決定,入力と出力の不在とされる.これらの特徴は,無反省に従来のシステム論と同じように解釈されてはならない. オートポイエーシス・システムは産出プロセスである.自律性,個体性,境界の自己決定はこの観点から理解される.
 また,あるシステムが作動によって‘自己’を産出するとされる場合【たとえば細胞分裂】,その産出プロセスは自己自身へと回帰するような閉域をなす.そのプロセスを「循環を追跡する視点」からみた場合,俯瞰的な視点をもつ観察者としてシステムを空間内に位置づける視点とはまるでことなる‘風景’がみえる.そしてオートポイエーシス論において,自律性,個体性,境界の自己決定という有機体の性質は,システムそのものにとっての視点から規定されたものである.たとえばヒトの体を構成する細胞について:細胞は代謝をおこなう【あるいは,代謝の場である】.このとき「細胞はみずからの構成要素を産出する活動を行っているだけであって,細胞が大気中の酸素と自分の関係を考えながら,酸素との関連を調整しながら構成要素を産出しているのではない.結果として酸素濃度との関係で,細胞の産出活動が影響を受けることはある.しかしその影響を判定するのは関係者であって,細胞ではない」.これが,オートポイエーシスには「入力も出力もない」ということの例である.