神経系モデルと視点の転換

 「入力と出力の不在」こそ「マトゥラーナが「オートポイエーシス」という言葉に込めた決定的な分岐点」である
:「システムを産出的作動としてとらえ,自分の構成要素を産出するという産出作動の循環のうちからみる限り,システムはただひたすらみずからの構成要素を産出し,その構成要素がシステムを構成し,そしてさらにシステムが構成要素を産出するという循環を繰り返すだけである」.
ゆえに「システムの作動を内的に捉える限り,いわば入力も出力も見えてないし,また見ることもできない」.

 何故にこうした視点の転換が必要なのか.それは,「外的な刺激に対応することなく神経システムは作動している」ことによる.たとえば視知覚には以下のようなことが知られている:
・同じ物理刺激が異なった色知覚をもたらし,異なった物理刺激が,同じ色知覚をひきおこすこともある.つまり物理刺激と色知覚との関係は「非対応」である.
・物理的な電磁場の波長スペクトルは連続的だが,色知覚においては「赤」「オレンジ」「黄」のように質的な差異として不連続になる.そのため色知覚は「構成的」に生じる.
 このように,神経システムは,それ自身の能動的な活動によって視覚像を構成する(外的刺激を受容してそれに対応した反応をするのではない).たとえば幻覚による視覚像と現実の視覚像を原理上区別することはできない.
 このように考えると,「神経システムは,徹底的な閉鎖系であり,システムの作動だけによって視覚像はもたらされる」と結論される.
 すなわち,そこには入力も出力もない.「これが常識的な帰結である.そのあげく神経システムは,頭のどこか片隅にカプセル状に閉じ込められてしまう.既存の経験科学からは自明なこの神経システムのイメージはひどくいびつなものである」.しかし,「マトゥラーナの意図したことは,このようなものではなかった」

オートポイエーシスの概念によって,このような神経システムの特性――その作動においては入力も出力もない――についてのイメージは新たにされる】