境界

 「オートポイエシス」とその背景であるシステム論についてざっとまとめた.以下,「境界」と関連の深い記述をメモ書き的に記す.( )内は『オートポイエーシス』のページ数.
#自己言及システムとして神経システムを理解することの難点(168-169)
 河本はオートポイエーシスについてのルーマンの把握を批判する:ルーマンオートポイエーシス・システムについて‘閉じているがゆえに開いている’などと形容する.河本によれば,それは自己言及性を軸にした理解である.それゆえに,ルーマンは自己組織システム,自己言及システム,オートポイエーシス・システムを区別せず論じることになるという.
 そこには「自己」「境界」「自己言及性」の主題についてそれぞれ難点がある.そのうち「境界」に関して河本が指摘するのは,自己言及システムの「境界」とは観察者が定めた「境界」ではないのか,ということだ.
 自己言及システムを,みずからの構成要素と相互作用して新たな構成要素を産出するシステムだとしたとき,構成要素と相互作用する当のシステムの「自己」がすでに借定されている.神経システムを自己言及的システムだとする限り,当のシステムの自己そのものは,作動によってではなくむしろあらかじめ空間内に描かれる静止した形状のようになる.
 システムには外から外的刺激や代謝物質が関与する:システムは自己自身と相互作用するよう円環的な作動を反復し,それの外から外的条件が関与する.
 ここでシステムの境界――システムとその外部とを区分けしている境界――を定めているのは,システムと外部とをともに俯瞰し同一平面上にとらえている観察者である.

 観察者はシステムとその外部とを同時に捉え,システムは一方では自己言及的に閉じて作動し,外的条件は他方でシステムに外から関与する.そのため閉じて作動するが故に開かれていると語ることができるが,そもそもこの規定は観察者によってなされたものである.(169)

【閉じているがゆえに開いている,という表現自体が,閉じたり開いたりするところのシステムの境界を前提している,ということか?】

#作動によって成立する境界(内部と外部)
 河本は「神経システムには入力も出力もない」という事態を重視する.それこそがオートポイエーシスと自己組織化を区別し,オートポイエーシスを第三世代と呼ぶ理由だからだ:「オートポイエーシスはシステムの作動を中心にして組み立てたシステム論である.システムは作動することによってみずからの境界を区切り,作動することによってみずから存在する」.
 たとえばハイパーサイクルについて考えてみる【ハイパーサイクルの説明は pp.134-136あたりに具体例もあり詳しい.たとえば化学反応において,ある反応の産物が次の反応を触媒し,それによる産物がそのまた次の反応を触媒し……と連鎖し,1つの大きなループをなす自己触媒ループについて,その各々の反応が自己複製を兼ねている,そうしたサイクルである】.
 ハイパーサイクルは視覚的な円環として空間的に図式化される.そこには空間的な‘境界’【あるいは‘反応の行われる場,ループ,所定の経路’】がすでに与えられているかのようである.しかし実際のハイパーサイクルは「作動が停止すればただの物質の集合」である.ハイパーサイクルは,自己自身へと回帰するよう作動を継続することではじめて円環をなし,成立する.
:生成プロセスの進行によって生成プロセスが円環的に作動したとき,その作動によってシステムの内部と外部が区分けされる:システムは自らの作動にそのものによって,内部と外部を区分するのであって,システムの作動に先立っては「内部も外部も存在しない」.
 観察者が設定する内部と外部は,システム本体と外部環境との相互作用関係でひかれた境界にすぎない.

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