2005-03-01から1ヶ月間の記事一覧

反省

これまで書いたものをみなおす. あたらめて見返すと同じことばかり考えているようだ.同じものの周りをグルグルまわっている.‘ユープケッチャ’のように.今後も同様にグルグルと書いてゆくのだろう.何度も行き来するうちに道ができて,その軌跡を俯瞰する…

ドラえもん

先日,旧友と会う。知らぬまに共通の知人ができていたことがあきらかになり,世間はせまいものだとわらう。 - その方は生物学を専門にされておられる.よい機会だとおもいかねてから疑問だったことについて尋ねる:「植物のウイルスはヒトに感染するのだろう…

ちがうところにいる私

自我について,主我と客我という区分がある. 私が何を考えているときでも、私はそれと同時にいつも私自身、私の人格的存在を多少とも自覚している。また同時にそれを自覚しているのも私である。したがって私の全自我(セルフ)はいわば二重であって、半ば知…

ファミコン

「物」や「脳」とは〈‘違うレベルのコト’として「心」や「私」のための‘領域’なり‘次元’なりを確保しよう.気になるのは,そうしたコトがら(それらのデータ)の記録媒体はあるのか.あるとすればどこに、ということだ. それらもまた「物」の配列に記録され…

私と名指し

「私」について考えたことに関して似たような話をいくつかしていただいたのでそのことにかかわるレス――というよりも断片的なメモ書きを. - 人と人との関係や自分による自分の把握(いわゆる自己意識というやつでしょうか)において,そこにあらわれる「私」…

「私」は脳のどこにいるのか

数年前に「「私」は脳のどこにいるのか (ちくまプリマーブックス)」という本を購入した.当時は著者の主張(というよりも語り口)が好きになれず長らくダンボール箱の奥にしまいこんでいた.表紙カバーに船越桂さんの「水をすくう手」が使われていなければと…

「私」

河合隼雄『無意識の構造 (中公新書 (481))』では「私」ということの不可解さをあらわすエピソードとして以下の話が紹介されている. インドの説話に次のような話がある。ある旅人が空家で一夜をあかしていると、一匹の鬼が死骸を担いでそこへやってくる。そ…

擬態論

あるときあなたは虫に寄生される.その虫はあなたの肉体の1部を食す.その過程において虫は,その場所が周囲とおこなっていた情報のやり取りを読み取り,そのやり取りにおいて成立している関係の1項に成り代わる(麻雀の卓において面子の一人が途中で入れ代…

神の数学

木曜日.先輩の引越しの手伝いにゆく.『哲学』という雑誌の1988年冬号を譲ってもらった。「神の数学――カントールと現代の集合論」というタイトルを記されたその本の表紙.クザーヌスの下にカントール,ゲーデルの名が連なり,さらに柄谷行人+大澤真幸の対…

シララの歌

「Rising」収録曲の1つに「シララの歌」というものがある.次の一節はその歌詞の一部なのではないかとおもう. 青い翅のある虫がシララのなかに入りこみシララを喰いころした. シララというのは女の人の名前なのだが,歌詞の内容はそのシララが寄生虫に体を…

ユリイカ

解説によれば映画『ユリイカ』は「犯罪サスペンス映画の枠組みに,死からの再生=言葉の獲得という主題が初々しいひたむきさで結びつけられた」作品であるという.小説を読んだかぎりでは「犯罪サスペンス映画」じみた雰囲気はさして感じない.しかし作品の…

からだがたりない

夢が大き過ぎて寝た児を起こす.だからさ.もう一度おやすみよ. 「寝た子を起こす子守唄」の一節.作者は豊島たづみという方だそうだが,聞きおぼえがあるのは加藤登紀子が歌っているもの。「Rising」(1982)というアルバムに収録されていたようだ. - 一…

憑依と隔たり

憑依として精神疾患を捉えること.ある一人のヒトの内部に距離を,隔たりを導きいれること.あるヒトがあるモノに憑依される.ある特定のヒトが憑依によって別のモノとして振舞いはじめる. そのモノは元来,彼に宿っていたものではない.彼の内に秘められて…

声と距離

久しぶりに声を聴くことのなつかしさ【そういえば「懐かしい=ナツカシイ」や「懐く=ナツク」は「懐=フトコロ」と書く】.声の主を身近に感じる.すぐ傍に相手がいるようで,というよりも自身がいつのまにか語らいがなされている場所にいて,話を耳にして…