「私」は脳のどこにいるのか

数年前に「「私」は脳のどこにいるのか (ちくまプリマーブックス)」という本を購入した.当時は著者の主張(というよりも語り口)が好きになれず長らくダンボール箱の奥にしまいこんでいた.表紙カバーに船越桂さんの「水をすくう手」が使われていなければとうの昔に古本屋に売るか人に譲るかしていただろう.

この本の目的は「自分とは何か?」という問題,すなわち「自我」の問題を脳のレベルでとらえ,「自我の脳内メカニズム」といった考えを示すことにある.その前提には「心は脳の活動である」(心=脳活動説)という考えがある.
それによれば,心とは脳の活動あるいは過程(プロセス)である:脳を作っている多数のニューロンが相互作用しながらおこなう活動・プロセスの一部が「心」である.それは「モノ」あるいは「ハード」としての脳ではない.ある心のはたらきにはある特定の脳活動が対応する;ある心のはたらきはある特定の脳活動によって担われる.
こうした心と脳の関係は「色と電磁波の関係に似ている」とされる:「赤色はある特定の波長域の電磁波に対応する.あるいは,赤色はある特定の波長域の電磁波が(脳の視覚系を刺激することによって)つくられる」.また「落下現象とニュートン力学との関係にも似ている.落下はニュートンカ学での「引力による物体の運動」に対応し,そうした力学法則によって起こる」.

    • -

著者は「心を,心のレベルで記述したり解析したりするだけではなく,そのメカニズムを脳のレベルで明らかにすることにより,理解の幅や深さも大きくなるし,予測性・応用性もでてくる」と述べる.
たとえば「心は脳の活動である」という立場からみれば,統合失調症は「脳の病」である:肝炎が肝臓の病であるように,臓器としての脳の病である.ゆえに,それは脳の具体的な異常・病変と対応づけられ,その解明により,適当な治療法も導かれる.
現在,統合失調症のおおくはドーパミン系,とくに中脳から大脳の前頭連合野ないし辺縁系へ投射するドーパミン系の作動異常によって発症することが科学的な知見として得られている.
その知見から,統合失調症の治療にはドーパミン系の異常を治す手法が有効であることが導かれるのであり,現にドーパミン系を調節する向精神薬により統合失調症のほとんどは軽快する.皮膚や臓器の炎症に抗炎症剤が効くようなものである.
統合失調症は「心の病」としてみることもできる.しかし「脳の病」とみなすことで,このような「応用性」がでてくる.

    • -

このような主張には、総じて賛成である:なるべくそのような脳科学の知見をたくわえ,できることなら何がしかの寄与ができるようになればとおもう。
しかし若干の違和感が残る.それは色や落下現象について「色は電磁波のごく一部であり,落下現象は力学法則から出てくる一現象である」とする記述をみたときに感じるものと同じもののようだ.

    • -

なお,同書では大森荘蔵という著名な哲学者が1988年の『無脳論の可能性』という論文で「脳が無くても心はあり得る」という主旨の論を展開した,と記されています.なかなか面白そうなのでこの論文も探して読んでみようとおもう.