「私」

河合隼雄無意識の構造 (中公新書 (481))』では「私」ということの不可解さをあらわすエピソードとして以下の話が紹介されている.

インドの説話に次のような話がある。ある旅人が空家で一夜をあかしていると、一匹の鬼が死骸を担いでそこへやってくる。そこへもう一匹の鬼がきて死骸の取りあいになるが、いったいどちらのものなのかを聞いてみようと、旅人に尋ねかける。旅人は恐ろしかったが仕方なく、前の鬼が担いできたと言うと、あとの鬼が怒って旅人の手を引きぬいて床に投げつけた。前の鬼は同情して死骸の手を持ってきて代りにつけてくれた。あとの鬼は怒って脚をぬくと、また前の鬼が死骸の脚をくっつける。このようにして旅人と死骸の体とがすっかり入れ代わってしまった。二匹の鬼はそこで争いをやめて、死骸を半分ずつ喰って出ていってしまった。驚いたのは旅人である。今ここに生きている自分は、いったいほんとうの自分であろうかと考えだすとわけがわからなくなってしまうのである。
『無意識の構造』中公新書 p.25.

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