2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧
文献は読まずテキトーに(誤った記述が多いかもしれません).気がつけばかなり長め.
〜〜を読んでみたい,読んでみよう,読んだ.そういった言葉をここに記すことが多い.そのように記した書籍のうちおよそ6割はじっさいに読んでいるとおもう.すばらしい.けれども本を読んでいるあいだは大抵ものごとを考えていない.とくにムツカシイ本を読…
先日,現象学を専門にされている先生に会いにいった.現象学にかんしてお話をうかがうつもりがいつのまにやら話題は脳科学と倫理(ないし哲学)とのかかわりへ.ガザニガ『脳のなかの倫理――脳倫理学序説』(ISBN:4314009993)を紹介いただいたりNHKスペシャ…
縁あって演奏会を聴きにゆく.はじめてのことで刺激的だった.とりわけ指揮というものがあれほど全身を用いるものだとはおもっていなかった.指揮者の動きとオーケストラの演奏の関係を意識と身体のアナロジーとして解釈することはできるだろうか.そんなこ…
縁あって現象学を研究しておられる先生と会うことになった.そのかかわりで2,3の本を薦められて読んでいる.うち以下の本は現象学の入門書として質・量ともに手ごろであると感じた.クラウス・ヘルト『20世紀の扉を開いた哲学――フッサール現象学入門』(ISB…
藤田嗣治展をめあてに国立近代美術館に出かけたところ休日の翌日で休館日だった。 【関連:http://foujita.exh.jp/】 - いくつか古本屋をまわり以下の本を購入する:ジルボーグ『医学的心理学史』みすず書房(ISBN:4622022001)、宮原勇『図説・現代哲学で考…
カントールの対角線論法がひきあいにだされていたのは第4章のことだった【関連:id:somamiti:20060419】
もっと観念的にではあるが,少年も亦,似たような思い込みを抱いて,人生を生きつつあるのかもしれない.ひょっとすると,僕も生きているのかもしれない.この考えにはぞっとするようなものがあった. (「詩を書く少年」『花ざかりの森・憂国』)
膠原病 collagen disease :1941年にクレンペラー P. Klemperer が提唱した疾患. クレンペラーは全身の複数の臓器に同時に炎症を起こし,臓器の機能障害をひき起こす疾患にかんして,なぜ一つの臓器だけでなくて炎症が全身に広がったのかに着目し,病理学的…
古くは,体のあちこちの運動器に疼痛が多発し,その痛みや炎症の症状が移動して(流れて)いくように感じられる状態をさしていった.リウマチ性疾患という用語は,このような移動性・多発性の運動器の疼痛を伴う疾患のほとんどすべてを含む.したがって,膠原…
週末は整形外科の試験.これが終わると夏季休暇. - 整形外科の教材用の症例にかんする話し合いにおいて,鑑別疾患にリューマチが挙がったことがある.それにしてもリューマチとは,よく耳にする病気だけれどもはたして何なのだろう.とそうした折りに『膠原…
自分の死を待っているある日のこと,彼女はふとわたしに向かってこう言った――先生はやはり真理があると思っているんでしょう……. それがなくては人類が生きて行けない誤謬としての真理は,生きる躍動を凍結標本に変えてしまう.(pp.8-9) - 『偶然性の精神…
キーワード:タイミング,界面現象,オートポイエーシス,主体の内在という錯視,ゲシュタルトクライス 【オートポイエーシスに関して:id:somamiti:20041227,id:somamiti:20041228】
>「認識の立場」の批判 木村は,フッサールがこのように考えるのはあくまで理論的思索にとどまるからだとする【理論 theory ← テオリア theōria (観想,見ること〉】:「現象学的哲学のような理論的思索においては,いかなる「行為」も一旦は「認識」を通…
キーワード:力への意志,存在と生成,フッサールの時間論,生き生きとした現在
認識は一つに固定・同定された「何か」を「見る」ことである.認識する〈わたし〉は行為する〈わたし〉である.生物,とりわけ意識をもつ生物は何かを認識することができる.認識(知覚や経験)は生命現象,そして生命にゆらいする意識の現象により産みださ…
内容整理のためのチャート【参照:id:somamiti:20060623,id:somamiti:20060705】. 「〈わたし〉を反省する」とき,反省される〈わたし〉は,同時に反省する〈わたし〉でもある.反省される〈わたし〉は「認識」の対象(客体,object)である.反省する〈わ…
- 『偶然性の精神病理』読了【精神疾患を理解する糧になるかと哲学的な本を読み耽っている身としてはスゴすぎてイヤになるような本でした】.
生活が乱れがちな昨今【なおタイトルと内容はまったく関係ありません】. -
なかなか.ワシは,どうせ,せんせの作らはった架空の人物ですさかいに,もともと実在せえへんのどす.だから,どんな言葉を使おうが,どんな性質を持とうが,わたしの記述はつねに真になるはずだす.おまけに,存在しないものの存在が,非存在の主張と矛盾…