認識と行為の二項対立

認識は一つに固定・同定された「何か」を「見る」ことである.認識する〈わたし〉は行為する〈わたし〉である.生物,とりわけ意識をもつ生物は何かを認識することができる.認識(知覚や経験)は生命現象,そして生命にゆらいする意識の現象により産みだされる.そのような認識を産みだす「働き」や「力」が「生命」にはそなわる(認識も行為も生物の能力).
認識する〈わたし〉は行為する〈わたし〉である.「行為する〈わたし〉」は認識作用によりオブジェクト化された「対象」(モノ)である【連想:プロジェクターとプロジェクトされた映像,表象作用と表象(映像)】.それでは〈わたし〉の「行為」,認識の成立に先立つ「行為」(動き,運動)はどうか.この「動き」もまた事後的に成立するオブジェクト,動きや運動あるいは認識という「こと」の「のち」に構成された「モノゴト」である【たとえば軌跡として図示される「運動」のように.その軌跡と対応する式にもとづき「再現」された(あるいは,アニメイトされた)映像の「動き」のように】.

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認識と行為の二項対立,もしくは行為そのものと認識の対象とされた「行為」との二項対立,

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