2004-11-01から1ヶ月間の記事一覧

海馬など

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス) は,なにやら胡散臭いタイトルであるが,学校の授業で先生がとりあげられていたこと,その折の話が興味ぶかかったこと,実際にページをめくってみたところ意外にしっかりした内容の…

こんぷりーと

ながきにわたった実習もとりあえず終了. - 古本屋にでかける.長いあいだ探していた夢の逃亡 (新潮文庫 草 121-13)を(状態は悪いながらも)入手.これで新潮文庫のレーベルからでている安部公房の作品は全て手元にそろえることができたとおもう.まことに…

内面と界面 → 内言と外言

ピアジェは子どもの思考の特徴を自己中心性におく.自己中心的な思考は,周りの物事にはすべて自分が関係しているという認識に端的にあらわれる.たとえば母親が「頭が痛い」というと,子どもは「お母さんの頭が痛いのはわたしのせい?」などと尋ねたりする.

内面と界面 脾臓についてのメモ

脾臓 Lien の髄質を脾髄という.脾髄は血管系の一部である脾洞とその周囲の実質をなす脾索(脾実質)に区分される.

黒冬

私の耳は貝の耳.海の響きを懐かしむ. -

オルガン

臓器.organ.これを「オルガン」と発音するのが好きです.メカニクスと音楽. 内と外,あるいは内と界面についてという文脈からみると「脾臓」というのは興味ぶかい臓器 organ です. - 他人がすでに考えたことを考えてしまうということ,そこに拘ってしま…

どうどうめぐり

【巨大なメビウスの輪のある地点に立っている微小なヒトの視点からすれば,そこでは明確に表(見える世界)と裏(見えない世界)が二分されている.しかしメビウスの輪の表面を旅するヒトは,やがて輪の“表面”を余すことなく旅することになる――延々と「表」…

内面と界面(2)

内面あるいは界面について考える.ドアのことを考える.私はドアの入口に立っていて,家の中と外を同時にみることのできる立場にある.

斑猫

5.633 世界のどこに,形而上学的な主体が認められるのか. 君は,眼と視野との関係とまったく同じ関係が,ここになりたつという.しかし君は,自分の眼を実際に見ているわけではない. そして視野のうちにあるいかなるものからも,それが眼によって見られて…

内面と外面

内面は外面と隔てられている.境界により区分される領域のいずれを「内」とし「外」とするかは相対的なものだ――そうだろうか?

枝葉

U Inherit Money. Others Inherit Insanity. Such Is Life. ちょっとカッコイイ文句.こういうのなら語呂合わせ暗記法も悪くない.

テツガクについて

(テツガク≠哲学)

端書,走書き

「死ぬ」ことにおいて「私」は「みんな = 人間」の一員となっている.

夢をみていた.というより起きてみてあらためて思い出すと夢だった. - 学校(中学校か高校)の教室で女と話をしている. 女はいう.不思議なのは,実際に死んだこともないのにみんないつか死ぬ,自分もいつか死ぬ,と思い込んでしまっているということよね…

脳たち

(das) Hirn という単語は面白い.脳という意味であるが,(das) Gehirn,すなわち脳,脳髄/頭脳,知性/料理用の動物の脳みそ,これは Hirn の集合形からきている,とのことである.

die Wahrnehmung

(die) Wahrnehmung という名詞は興味ぶかい.知覚,認知という意味とともに,(政治的な権利や立場の)主張や代行,という意味をもつ. これは wahrnehmen という動詞から来ている.wahrnehmen は wahr (= true) と nehmen (= take)からなる.真実を手に取る…

みなおす

あたりまえのことですが,日記,とくにこうした日記は読まれることを前提にしておりますので「自由」に思いのままを書き連ねるというわけにはまいりませんね.

ものおもい

「テツガク」は受けが悪い.他の人に「テツガク」が好きだ等といえば,現実ばなれした(何の利益もうみださない)ものおもいに耽っているとおもわれるか,あるいはいわゆるシューキョーのようなものにハマッテいるとおもわれるか,そうした反応をされるのが…

「精神は骨である」にかかわる引用など

ひとつの自己意識がひとつの自己意識にたいして存在する. そのありかたにおいて意識されるのが,精神とは何であるのかという経験である: 自らに対してあらわれる自己についての(自己としての)意識が,各々に独立しかつ統一されているようなありかた,す…

骨(続)

ホラホラ、これが僕の骨− 見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。 霊魂はあとに残つて、 また骨の処にやつて来て、 見てゐるのかしら?

骨を描く実習が一番たのしい. みたものをみたままに描くことはうんざりする作業であるが,しばらく作業に沈み込むとある境からそれまで見えていなかった連関やバランスが分かる.すると自らの感覚の選別作業が快感になる. - ホラホラ、これが僕の骨だ、 生…

金閣寺

久しぶりに『金閣寺 (新潮文庫)』を読むことになる.あらためて読み返しておもうに『金閣寺』には目ないし視覚,視野にかかわるたとえが満ちていて,それは〈私〉の行動なり思考なりを規定するもののようにおもえる.人間として生きてゆこうとするとき,その…

手紙‐引用‐論,構造主義/女生徒

――つまり個人思考に対する集団言語の優越性,「人間は死んだ」という主張は,もう10年あまりも前に「ヌーボー・ロマン」ととくに「ヌーボー・テアトル」のなかで表明されているものなのである. すでにアラン・ロブ = グリエは,作者と登場人物双方の主観を…

女生徒

結局は、私ひまなもんだから、生活の苦労がないもんだから、毎日、幾百、幾千の見たり聞いたりの感受性の処理が出来なくなって、ポカンとしているうちに、そいつらが、お化けみたいな顔になってポカポカ浮いて来るのではないのかしら。太宰治「女生徒」

かえりみる

どうやら「自分とはなにか.自分が現に「いる」という感じがするのは,どういうことで,どういう仕組みによるものなのか」ということに関心があるようで,それゆえに「自己」や「主体」や「他者」や「存在」,「言語」という単語に関心をひかれては,カラス…