どうどうめぐり

【巨大なメビウスの輪のある地点に立っている微小なヒトの視点からすれば,そこでは明確に表(見える世界)と裏(見えない世界)が二分されている.しかしメビウスの輪の表面を旅するヒトは,やがて輪の“表面”を余すことなく旅することになる――延々と「表」を歩いているようでいて,その実,ある時点ないし地点においては「裏」と位置づけられていた場所の風景をも視る(あるいはその風景を「歩く」?)ことになる.私たちにとって私秘的な内面と位置づけられている領域もそうしたもので,局所的には区分されている内面と外面も,視点の移動とともに巡り巡って,一つのものとなる】

【イメージとして:おもいでは外から不意にあらわれる.メビウスの輪を旅することで,かつては裏面に位置していた「内なる風景」に「外」において出会うことになる】

どうにも精神分析的な発想から抜け出せない.

    • -

春と修羅』への発想の飛躍は,その一節をモナド論へと関連づけて論じるという発想を聞きかじっていたことによる.

参照:宮沢賢治の宇宙
とくにut‚ƏC— E˜v‚ɂ‚¢‚Ä