ものおもい

「テツガク」は受けが悪い.他の人に「テツガク」が好きだ等といえば,現実ばなれした(何の利益もうみださない)ものおもいに耽っているとおもわれるか,あるいはいわゆるシューキョーのようなものにハマッテいるとおもわれるか,そうした反応をされるのがあたりまえだとおもう.

6.53
哲学の正しい方法とは,本来こうである.…….そして誰かが形而上学的なことを語ろうとするたびに,彼が自分の命題中のある記号に何の意味も与えていないことを指摘してやること.

論理哲学論考

広辞苑第4版より

てつがく【哲学】(philosophy)

philosophia(ギリシア)は愛智の意。西周は賢哲を希求する意味の周茂叔の文に基づき希哲学と訳し、それが哲学という訳語に定着した.

古代ギリシアでは学問一般を意味し、のち諸科学の分化・独立によって哲学は世界・人生の根本原理を取り扱う学問となるが、単なる体験の表現や宗教ではなく、あくまで理性的認識として学的性格をもつ。

>俗に、経験などから築き上げた人生観・世界観。また、全体を貫く基本的な考え方。「―に欠ける政策」

どこか抜けている奴が,難しい理屈を述べると,側にいる人間は笑ってしまうものである.
ぼくは勉強ができない (新潮文庫)


『ぼくは勉強ができない』の植草という「高尚な悩みにうつつを抜かしている奴」は,彼の高尚な悩みは側の人の苦しみにも自らの痛みにもまったくの無力で.

テツガクを好むヒトは色々なことを考える.ちょっとしたことにひっかかりを感じては立ち止まり立ち止まり,どうしたわけだろうと考えこんであたりまえのことがわからない.そのヒトは立ち止まってばかりいるので流れに乗れない.サッとものごとを流せない.いきおい不器用なヒトになる.

目の前では色んなものごとが起こるがそこに見いだされる疑問が多すぎて先にすすめないまま置いてけぼりにされる.流れに乗れない.と表現するとなんだかカワイソウなヒトのようだが流れにのらずにひとり立ち止まって考えこむそのスタンスはいってみれば高みの見物.そうして高みから世界について何かの答えを得たとして,けれどもその答えは「いま」や何の力もない.何の解決にも役立てない.

あるきっかけで知ったヒトの悩みについて長い年月の思考のはてにようやく一つの答えに達する.その答えを携えてそのヒトと再会してみると,その悩みにはとっくの昔に決着がついていた.

つまり,私の言いたいのは,排泄物も吐瀉物も体の中に隠し持っているくせに,何故,虚無なんて言葉を使うかってことよ.

などとゆわれると,「げろのことを吐瀉物とか呼ぶタイプ」にまちがいのない,苦痛にも空腹にもまったくもって耐性のないソマミチとしては赤面するしかない.何故,虚無なんて言葉を使うか.そりゃあその方がカッコいいからですよ.

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と開きなおることができれば楽というか,いさぎよいスタンスのようだけれども,そういうスタンスをとるのにも抵抗感はある.