ユリイカ

解説によれば映画『ユリイカ』は「犯罪サスペンス映画の枠組みに,死からの再生=言葉の獲得という主題が初々しいひたむきさで結びつけられた」作品であるという.小説を読んだかぎりでは「犯罪サスペンス映画」じみた雰囲気はさして感じない.しかし作品の前半部に描かれた,主人公の一人(沢井)が世間とのかかわりのなかである種の‘村八分’にならざるを得なくなるプロセスには,日ごろ読んでいる‘犯罪サスペンス’小説以上の緊迫感や重苦しさを感じた.

印象に残ったのは,作品の要所に登場する「音のやりとり」およびそのネガとしての「音の侵入」である.
たとえば留置場に入ることになった沢井に壁の向こうからノックの音が聞こえてくる.はじめは空耳かと思ったが,壁に耳をあててその音を聞くうちに,それが励ましの音におもわれ,沢井は壁を叩いてノックを返す.そうして後,兄(直樹)にかかわる事件のショックからバスの車内に閉じこもった妹(梢)に,今度は沢井がノックを送る.そして幾度かの試行ののち,梢からか細いノックが返される.こうした一連のプロセスには音楽療法を連想する.乱雑な音,気まぐれに打ち鳴らされたドラムやピアノのキイに施療者が音を返す.その‘返答’にたいして奇妙なタイミングで返される音(というより,あるべきタイミングもないのだから‘奇妙’であるわけもない).すると抑揚や間合いが加味されて音が返ってくる.それに音が返される.音と音とのやり取りのなかでリズムらしきものが生まれる.そうして改めて,音と音との連鎖は【‘リズム’という第3項への配慮もふくんでの】やり取りとなる.
「音の侵入」のことも記しておこう.直樹は音の侵入に苦しめられる.空を切る鞭のような音.父がゴルフの素振りをするときに聞こえてきた音.たあいのない偶然から再会することとなったその音は,直樹の身体に食い込む.聞こえるたびに呼吸が苦しくなり,身体が震える.「父が死んで,二度とその音を聞かずにすむと安心していた.直樹を呪縛しつづけ,苦痛以外の何物でもなかった父のあの強制力が,その音そのものだった」.ここではたとえば幻聴の体験が連想される.そうしてまた「意味をキャッチできない言葉というものは,刃物のようなものだ」(『夢分析 (岩波新書)』p.14)ということも.