シララの歌

「Rising」収録曲の1つに「シララの歌」というものがある.次の一節はその歌詞の一部なのではないかとおもう.
青い翅のある虫がシララのなかに入りこみシララを喰いころした.
シララというのは女の人の名前なのだが,歌詞の内容はそのシララが寄生虫に体を食べられて死んでしまいましたというもので,おぞましい内容だけれども綺麗な印象もうける.シララさんは中身を虫に食べられてがらんどうになってしまいました.白々としたその貌は薄っすらと透け,内に冷たい灯がともっているようでした.蝉の抜け殻のようなイメージ.

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「シララの歌」の冒頭では“ シロカニッペ・ランラン・ピシカン.コンカニッペ・ランラン・ピシカン(Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan)”と歌われているはずだ.それは「銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに」という意味で,たとえば「梟の神の自ら歌った謡」の冒頭に謡われている(アイヌ神謡集 (岩波文庫)).ただし「梟の神の自ら歌った謡」の内容そのものは「シララの歌」のそれとさほど関わりないようだ.

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「むし」はもともと「蒸し」で,産出の意味があり,土や草叢から大量に生まれてくることからきているという.
日本書紀」によれば,皇極天皇3年(644年)7月,富士川の沿岸で大生部多(おおうべのおお)なる人物が,虫を祭りあげて‘これは不死の生命をもつ常世神であり,この虫を祭れば富を得て長生きすることができる’とした.そして民衆は虫神を祭り祈りを捧げ,財産を捨てて歌い踊ったという。
夢の領域では,たとえば「小動物,毒虫は小さな子どもたち,たとえば死ねばいいのにと思っている弟や妹の象徴である.虫にたかられている状態はしばしば妊娠をあらわす」とされる(『夢判断』(Die Traumdeutung),E.夢における象徴的表現――続・類型夢).
こうしてみると虫と妊娠あるいは生殖,ひいては生命は,人の心において強い連関をもっているようだ.ありがちな考えなようだが,それだけに手垢にまみれてしまうほど普遍的な,多くの人の関心や連想をさそうことであるようにおもう.

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「シララの歌」には続きがあったはずである.シララには恋人がいた.彼はシララの亡骸をトトマイという川に流す.トトマイ川の流れによってシララは海へ運ばれてゆく.‘オレンジ色の波間をぬってシララは游いでいった’と歌われていたようにおもう.そして男はみる.‘水平線から一羽の鳥が薄紫の羽根を広げて飛んでゆくのを’.
流れていったシララの‘死体’と飛んでゆく鳥とのあいだの繋がりはなにも言及されていないが,この飛んでゆく鳥は明らかに再生(転生)したシララ,あるいはシララの‘魂’であるような,そんな意味を読み込んでしまう【‘魂’などという言葉はできれば使いたくないが】.
そしてまた,青い翅のある虫と薄紫の羽根をひろげて飛ぶ鳥とのあいだにも何らかの連鎖をみてしまう.シララのなかに入り込んだ虫が,羽根をひろげて飛ぶ鳥に羽化したように感じられる.