夢幻

夢の終りに誰かと一緒に坂道を下っている.坂道はちょっとした崖に面しており,そのガードレールの向こうには野原と池と学校とが眺望できる.夢のなかでふと気がつく.この光景は子どもの頃によくみていた.この坂道を下りその先のカーブを曲がるとワタシの家がある.そういえばワタシはこの光景を夢でよくみているのだが,してみればこの光景はワタシにとってなにか意味づけられた光景なのだろうか.

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……つまり,ネズミは眠りながら,つい先ほど起きていたときに訪れた場所を思い出しているのです.これはまさに「夢」です.……驚くべき事実は,夢が昼間あったことを思いおこすという行為であったという点です.最近経験したことを夢の中で再生しているのです.そして,夢を使って過去の記憶を反芻し整理しているのです.
池谷祐二『記憶力を強くする』講談社ブルーバックス,2001,pp.211-212.

……そういうわけで私はこう考える.どんな夢においても,それから「まだまるひと晩も経っていない」ような,そういうほやほやの諸体験がその夢のきっかけになっていると.
 もっとも近い過去(夢の夜に先立つ昼間を除いて)の諸印象は,夢内容に対して,随意の遠い過去の諸印象と同じ関係を持っている.夢は,もしただ夢の前日の諸体験(「最近の」諸印象)から,これらのもっとも遠い過去の諸体験へと一筋の思念の糸がかけ渡されているかぎりは,その材料を人生のいかなる時期からも選び取ってくることができる.
フロイト『夢判断』,V「夢の材料と夢の源泉」

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『夢の逃亡』を読んでいる.「少女の心臓は一刻一刻吸い込む方の力が強くなってゆくのが良くわかった.いずれは吸い込むだけの心臓になってしまうに違いない.そして彼女自身を吸い取り,他のものを吸い取り,破裂するまで吸い続けるに違いないのだ」(名も無き夜のために)

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内と外に関連して:自然数全体の集合Nについて.Nの要素(元)を挙げつくすことはできない.その行為は‘限りがない(無限)’.しかしある対象について,それが自然数であるか否か,Nに属するか否かを定めることはできる.この意味において,Nは‘境界’をもつ――たとえるならば,‘ある点xがNの内部にありかつ外部にある’という事態はありえない.Nの内部と外部は境界づけられている.
たとえば,これを‘神’的なものについてあてはめる.神に属する個々の要素を挙げつくす行為に終りはない.この意味において神は‘無限’である.しかし,ある対象について,それが神に属する要素であるか,神に属さない要素であるか,それを判断することはできる.
集合論の基礎を築いたカントールは神学にも造詣が深かったという.

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とりとめなく.