デカルト的

精神がその機能を直接に働かせる身体部分は,けっして心臓ではなく,また脳の全体でもなく,脳の最も奥まった一部分であって,それは一つの非常に小さな腺であり,……
(「情念論」31)

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先日,画像診断の講義の余談でバッハの頭蓋骨のスライドをみた.講師の話によれば,バッハの頭蓋骨は平均的なそれにくらべて側頭部が横にせりだしている.これは偉大な音楽家であったバッハにおいては,聴覚認知にかかわる脳部位である側頭葉が発達していたことの証拠ではないか,とのことだった.
おお,ガルの骨相学だ.なんと「非科学的」な.しかし,脳の機能を目に見える手がかりから推し測ろうという発想,あるいは脳の機能を目に見えるものにして計測しようという発想は,骨相学にも,fMRIないしPET,SPECTの類いにも共通しているわけである.

関連するWebページなど:
http://www.genpaku.org/skepticj/phren.html
http://www.phrenology.org/
http://www.physiol.m.u-tokyo.ac.jp/sousetu/souzou.htm

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『パンセ』数学的思考 (理想の教室)」を読了する.気軽によめた.少しもの足りなく感じたが,それは中高生向けの講義という体裁をとったためであろう.また平易で専門的ではない内容のために,かえって考えを触発されるところもあった.
フッサールの『デカルト的省察 (岩波文庫)』を一通り読み通す.以前とちがってそれなりに読むことができた.読めたとすればカントのおかげかなと感じた.しかし他者経験の成立をとりあつかった「第五省察」はさすがにむつかしく,読んだだけで内容を理解することはできなかった.またメモをとりながら読んでみたい.

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難解とされる現代的な哲学も近代の哲学における議論や用語を踏まえたうえで読めば,すくなくとも論の主題くらいは把握できるようにおもう【そして近代の哲学を把握する近道は,プラトンアリストテレスの哲学を読むことだと感じる.とくにプラトンの対話篇は日常的な言葉で書かれていて,何をどのように論じているのかが把握しやすいようにおもう】【このように書くとさも哲学のお勉強をしているようだ.しかし以前は哲学への興味はとりたててなかった.哲学なんて科学前史の戯言かさもなければ綺麗ごとのお説教だとおもっていた(今でもそう感じている).もともとの関心は心理学や社会学めいたものにあったのだけれども】.
少しばかりデカルトの著作を読みなおしてみようとおもう.

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デカルトは精神と物質(身体)とが脳の松果体において出会っていると考え,それによって心身二元論アポリアを解決しようとする.それは安直な考えかもしれない.しかし,一方では素朴な物質実在論者であり,一方では精神の作用はすべて脳に還元できると考える現代の人々は,思想的にはデカルトの末裔といえる.……
デカルトは,これから解剖する仔ウシを友人に見せ,「これがぼくの知識の本棚だ」と言ったという逸話が伝えられている(『「パンセ」数学的思考』pp.44-45)