遅れてきた青年

レオノール・フィニ展をみにゆく.お気に入りな作品は以下のとおり:「横たわる女」「移りゆく日々」「二つの頭蓋骨」「庭での眠り」「夢から醒めても」「大いなる川渡り」.
総じて生と死のあわい,薄暗がり,名前の無い土地――そのようなイメージが喚び起される作品であるようだ.なかでも「庭での眠り」のことが気に入っている.ピクニックの昼下がり,皆で午睡をしているうちにすっかり苔むしてしまって,いまは緑に埋もれてゆこうとしているところです.そうした安らかな雰囲気のある作品.

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いくつか古本屋をめぐる.かねてから欲しかった本をいくつか見つけたので今回は思い切って購入.タイトル等は以下のとおり:『分裂病のはじまり―妄想のゲシュタルト分析の試み』,『ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環』,『レトリック認識 (講談社学術文庫)』.
ゲーデルエッシャー,バッハ』はかなり以前に一世を風靡した本であったとおもう.数年前から欲しかった本であるがそれなりに高価な本であること,とうにブームを過ぎた今になって購入するというのもバカらしく思えたことから幾度か購入をみおくっていた.訳者あとがきによれば「(著者の)ホフスタッターがこの作品で中心にすえているのは,ゲーデル不完全性定理をめぐる論議である.ゲーデルの定理で不完全性をもたらしているような構造を,彼はここで「不思議の輪」と呼んでおり,そうした例は人間の他の活動領域にも認められるという.たとえばM.C.エッシャーの『プリント・ギャラリー』,J.S.バッハの『音楽の捧げもの』の転調するカノンである」ということである.いわゆる‘ゲーデル本’.とはいえ今となってはむしろバッハのカノンという題材をどのように取り扱っているかということに興味がある.なお,訳者あとがきによれば著者がこの本を読んでもらいたいのは「わたしが十五歳の頃に興味をもっていたような事柄に関心のある,十五歳の頭のいい連中」とのこと.

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分裂病のはじまり』,『レトリック認識』とも知る人ぞ知る(?)名著である(らしい).とくに『分裂病のはじまり』については,書いてあるおおよその内容は教科書に記載されていることからおおむね見当はつくけれども,一度はもとの文献を読んでみたいとおもっていた.
それにしても,今回購入したものはいずれも少なくとも10年以上は昔の文献で,そうしたものを読んでいるとなんだか自分が‘遅れてきた青年’【という言い回しがまた遅れてますが】のようで,ああ馬鹿らしい今更という気にもなるのですが,おもうにとうの昔に流行が過ぎているからこそ良いところもあるのかもしれません.