objective

先日,術中モニタリングにかんする講義があった.そのとき聞いた‘術中モニタリングには術者一人のカンに頼らない客観的な手術を可能にする意義があるのだ’という見解に‘なるほど’と感じた.術中モニタリングによって,たとえば手術用顕微鏡下の術野をモニタに映しだす.それによって術者が‘見ているもの’を他の人々と共有する.モニタに映し出された像を他の人々と共有すること,そのことが客観的 objective であることを可能にする.

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主観 subject と客観 object という語はラテン語の subiectum と obiectum ,ひいてはギリシア語の hypokeimenon(下に置かれたもの)と antikeimenon(向こう側に置かれたもの)とに各々由来する.これらの語はもともと今日的な意味とは異なる意味で用いられていた.とくに中世から近代初頭にかけて, subiectum は「基体」すなわちそれ自体で存在する客観的存在者を意味し,obiectum が主観的表象を意味した.中世スコラ哲学や近代初頭の哲学では obiectum とは「知性に投影されたもの」のことであった.

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まるで劇場のような私の‘頭の中’――何処とも知れぬ場所にあるプロジェクターから,(私の)知性に投影されるオブジェクト.脳裡にあの人の面影を視る.‘脳裡’というモニタにあの人というオブジェクトが投影される.そして世界の「下」に,世界の成立基盤であるサブジェクトは隠されている.プロジェクター projector によってオブジェクト object がプロジェクト project される.このときサブジェクト subject は何処にあると想定されることになるか.ここで subject = projector として想定するならば,subject の作用こそが object を成立させることになる.
【関連:id:somamiti:20050822,id:somamiti:20050913】

手術用顕微鏡下に私は術野を視る.術野の像を私だけがみているのであれば,それは主観的 subjective なままにとどまる.その像は私の‘意識野’にのみ映し出される;私の知性に投影 project された object はあくまで私という主体 subject の認識作用(たとえば顕微鏡 microscope の視野を移動させる,ある構造物にたいして焦点を合わせる,など)に基づいて成立したものだ.しかしここで projector による投影経路を分岐させ,私の知性に投影される object を,他のモニタに project しよう.このとき【中断】

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数年前,視野の共有ということと愛や恋ということを関連づけて考えたことがあった.あなたと一つになりたいということは,あなたと同じものをみたいという欲望の言い換えではないかと感じたのだ.ちょうどその折,綾辻行人の『眼球綺譚』という小説のタイトルだけを眼にして,そこから一つの話を考えもした.ある人を愛するあまりに一つになりたいと願った者が,自らの眼球を抉出し愛する人の眼窩に埋め込むことによって視野の共有(あるいは覗き見)を図るというお話である.
「思考奪取」や「つつぬけ体験」といった精神病理的な体験は,上記のことがらと近しい体験であるようにおもう.私は中継地にすぎません.私はアンテナにすぎません.私というのは交響する電波の受信機あるいは変換器でして,その信号の意味するところをモニタを介して観ているのは私ではなく〈あの人〉です.見聞きしているものは奪われてしまって私はカラッポでした.中継地に過ぎないという感覚.あるいは自分の‘中’にそっくりそのまま自分がいるという感覚【今ここでキーボードを叩いている自分とはすなわち皮膚の袋にすぎないという感覚】【そっくりそのまま自分がいる → そっくりそのまま〈あの人〉がいる】

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主観と客観というテーマについておもうとき,デカルトを,とりわけ『省察』のことを思いだす.『省察』における方法的懐疑のプロセスは,そのまま離人症の体験報告として読むこともできる.それはまた,近代の主体(主観)のありかたが離人症という病と深く関連していることを示しているだろう【という主旨のコメントを卒論の口頭試問でいただいたことをおもい出す】

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