分裂病のはじまり

1950年代の精神医学の現状と,コンラートの研究スタンスについて.私的読書メモ:

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ヤスパースによれぱ、われわれは個々の心的現象を「因果論的に」「説明」しようとするか、そうでなければ、心的現象を他者の心的なものに還元して、その現象を「了解」するかどちらかである。因果論的説明の道を進むと、ただちに器質的基盤の変化に出くわし、問題を身体的なものに移し、精神病理の問題を身体病理の問題に変換し、自然科学的な取り扱いをしやすくすることになる。一方、了解への道を進むと、人文科学の方向に向かい、人文科学の方式で意味関連を求め、精神病理の問題を解釈学の問題に変換することになる。

ここから精神医学の二つの方向が生じる.

一方の発展方向は、心的な領域を手放し、大脳病理学、内分泌学、遺伝学の理解の発展を目指すこととなった。つまり、かくかくの幻覚体験はもっぱらかくかくの皮質領域の脳波所見によって、かくかくの精神病質的性格特徴はもっぱらかくかくの体質的な腺構造によって表現される。もう一つの発展方向では、心的なものにおける意味関連の及ぷ範囲を人文科学的にどんどん深めていって、個々の現象たとえば幻覚体験を一回性で反復不可能な世界投企のテーマから、個々の現存在の世界内存在 In-der-Wert-Sein から了解する。

「つまり、脳病理学で説明するか、人文科学で解釈するかのどちらかしかありえない」ことになる.自然科学か,それとも人文科学(哲学)かという二者択一が迫られることになる.それにたいしてコンラートは精神病理的な心的現象をあくまで心理学によって捉えなおすことを試みる..

私は、精神病理的なものを心理学で捉えなおしてみようと思う。脳波でその身体的相関を記録したからといって、幻覚の本質を説明できたと考えるのは、私は間違いだと思うが、幻覚の意味をその現存在の世界投企から了解したからといって、幻覚を解明したと考えるのも、やはり間違いだと思う。この二つの道は、ともに本来心的なものを出発点としながら、到達点は、一方は心より下位のもの、つまり身体的な physisch ものであり、他方は心を超えたもの、つまり形而上的な metaphysisch ものである。しかし、精神病理学はそもそも本質的に応用心理学であり、心理学の一分野である。諸現象で見い出したものを、まず心理学的に分析するのが順序である。

「心理学的分析」にはさまざまなものがある.「科学を手本として現象を要素に分解する試み」がある.これは妄想や強迫症状などの精神病理現象を「意欲・感情・思考などの障害という先入観に満ちた分類図式に無理に押し込めようとするむなしい試み」である【DSM-IVICD-10などの基準にもとづく診断は,こうしたアプローチに近いように感じる】.また「精神分析や実存分析、現存在分析を手本として、各個人の世界投企のそれぞれの内容をその個人にとって根源的と考えられる主題から解釈し意味を読み取ろうする試み」もある【たとえば深層心理学による解釈といったものの類い】.
コンラートが精神病理現象を分析するための心理学として参照するのはレヴィンらのゲシュタルト心理学である.それは「ある種の状況の全体性、行為の経過、認識過程に関する仕事である。あらゆる「状況」には、ある特定の「トポロジー」があり、「場」の性格がある。場には「場の力」「障壁作用」、指向性あるいは非指向性の「爆発能力」、「緊張」などの概念が含まれる。行為の遂行が予期せず中断されたらどうなるかとか、成功と失敗が個々の行為遂行に及ぼす影響が調べられ、行為反復による飽和現象、およびそれが実験の場に及ぼす影響、あるいは、怒りの状況における感情の発生と動きが研究されている」.そのアプローチの研究対象は「現実の主題や被験者の志向様式、たとえぱ(興奮状態における)知覚の変化であり、知覚されたものからわれわれが推論できるものに限られる」.そのような「詳細な体験記述・体験分析」をコンラートは「ゲシュタルト分析」と名づける.「体験されたものはすべてゲシュタルトを持ったものであり、現象として現われた事実を分析することはとりもなおさずゲシュタルト過程の分析であるからである」.

私はここから、新鮮な分裂病シュープの体験構造のゲシュタルト分析の試みを述べよう。この場合、患者のごく初期の幼年時代からの全生活史上の問題に対して厖大な分析の努力をする必要はない。そちらは現存在分析のほうの要請である。現存在分析の関心事とゲシュタルト分析の関心事との関係は、比喩をつかってわかりやすくいえば、J.S・バッハの伝記の関心事と音楽科学の関心事の関係と同じである。バッハの伝記の関心は、彼の作品の一つ、たとえぱ「フーガの技法」を、バッハの世界投企全体のテーマから、彼の生活史と信仰から、彼の息子との関係、時代精神から、了解しようとすることにある。音楽科学の関心事は、作品をもっぱらその構成に関して、多節性の主題とその加工の仕方から、そして対位法と運声法に関して、分析することにある。バッハの生活史と人生のテーマについての知識が当然すべて括弧に入れられる。

同じ「フーガの技法」というバッハの作品にたいして,現存在分析はバッハの人生史との関連によってその作品を解釈しようとする.一方,ゲシュタルト分析では「作品」そのものに内在する構造を分析により明らかにしようとする.