100%

冬期休暇にはいりました.先日購入した『ゲーデルエッシャー,バッハ』(GEB)を読んでいます.パズル付きの論理学副読本といった印象.

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数日前の講義で診察と臨床検査にかかわる話を聴く.胸部X線や血液の分析などの検査はあくまで補助手段であり,大切なのは患者さんの問診や診察である.まず第一に問診や診察から症状と臨床所見を明確にして候補となる診断名をあげてのち,はじめてそれらの鑑別のための臨床検査がなされるのだ,というお話.
なかでも「有病率(事前確率)を高めなければどのような診断的検査も有効ではない」というフレーズと,そのことを具体的に示すために出された問題が印象に残った【問題の内容などはメモ参照】.

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GEBは面白い.しかし今のところ,その面白さは絵画や音楽を用いた‘たとえ話’(いわば「地」)にあり,著者の主張とおぼしき内容(いわば「図」)についていえばまだ驚きに似た楽しみは見つけられないでいる【出版されて20年がすぎるうちに新鮮味が薄れてしまったのかもしれない】【なお,その内容は‘人工知能の可能性について考えるために,機械的な知性と人間的な知性の相違点について考えてみよう.ゲーデルの不完全定理(そこで用いられている自己言及的・再帰的な命題や構造についての着想)は,そのうえで大きな示唆をもたらす――といったものであるようです】.
おもえば近ごろ哲学的な本を読むことが少なくなった.お熱が冷めたのだろうか.それもあるだろうが熱が冷めるというよりも道に迷ったような感があり,そのような状態でGEBのような頭の体操を求められる本を読むとパズルめいた楽しさの一方に空しさもあり,読んでいて楽しくないのなら無理して読むこともないとおもう昨今でもありますがそのように開きなおるのも気持ち悪い.

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数学や論理学には完全というイメージがあった.公理と推論規則により全てが確実に導かれるというイメージ.そうして,たとえば心や人格について,その公理や推論規則を知ることができれば,み知らぬ心の作動をくまなく明らかにすることができると夢想していた【いまでもどこかでそうしたことを夢みている】.
しかし,科学(とりわけ自然科学)はそうしたものではない.ある理論(仮説)と計算(推論)から‘100%正しい’予言を得ることはできない.仮説には確からしさ(事前確率)がある.実験や観察がその仮説を指示する結果であれば,その仮説の確からしさは上昇する.しかしどこまでいっても仮説は‘100%正しい’ことにはならない.――このような考え方に慣れ親しむようになったことと上記のような態度の変化とは連動しているように感じる.