しばらくまえにレポート課題として提示された症例にかんするメモ.

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リエゾン精神医学の症例
Uさん.糖尿病でインスリン依存状態にある.コントロール不良で2週間前に入院.2年程前にナイフでの手首自傷行為,身体疾患にもとづかない心悸亢進,呼吸困難をみとめたという.精神科的問題の有無にかんして診察が依頼された.
第1回目の面接でUは糖尿病の辛さと以下のことを語る.
看護師への不満:看護師は患者の苦しみをわかってない.食事も携帶電話もなんでも規則規則で制限する.健康な人間には私の辛さなどわからない.
虐待の体験のほのめかし:「小さいときに……虐待とかいろいろあって……父親が憎くて……」「何のために生きているのか……生まれてこなければ」とささやく.
主治医Iへの信頼:I先生は体の心配だけではなく,つらいことをなんでも話を聞いてくれる.先生がついてくれるから,私はもう大丈夫.
前向きな姿勢・明るい表情を示してくれたことから,ひとまずは主治医に様子をみてもらうことにする.Uは1週間ほどで退院するが,その後2ヶ月のあいだに4回,インスリン濫用による低血糖発作により入院となる.頻回のナースコール,ナイフによる手首自傷などの行動がみられる.そのためふたたび診察が依頼される.
第2回目の面接でUは以下のように語る:不安なときも苦しいときも看護師は来てくれない.血糖が下がる,手首を切るなどしないとI先生にとりついでもらえない.I先生が駆けつけてくれることだけが心の支えになっている.等.

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第一回目の面接においてすでに虐待という‘トラウマ’が呈示されていることに注目する.トラウマを語ってみせること,手首に傷をつけること,これら2つの行為は等価であると推察する.リストカットによって(そして,そのことのみによって)私は先生に特別に診てもらうことができる.私は傷によって規則を越える.私の傷は他の者から私を区別する指標【刻印あるいは名】となる【そして傷負うことが病名と結びつくとき,私は病名を負うことで一つの共同体に参入することになる】.
疾病利得のための自傷行為――彼女は自ら傷つくることによって他人を操作しているのだ――これはあくまで解釈にすぎない.たとえば看護師長はUの行為を「自分で手に傷作って見せにきたり,わざと低血糖になったり」と評するが,仮にこの指摘のとおり,自傷行為やトラウマの告白が「見せ」るために「わざと」なされたことだとしても,その解釈をただ振りまわすことには何の治療的効果もないだろう.そのように解釈するとして,ではどのような処置をなすべきか.

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ソマミチは解釈に耽溺しやすい.解釈により行動の意味を曝露することには嗜虐的な悦びが伴っている【そして,その解釈に拘泥するときソマミチは彼女の予期したとおりの振る舞いをなすだろう:たとえば看護師は自らの解釈により「苦しみをわかっていない」という配役を演じつづけることになる】.またソマミチの解釈はソマミチの先入見を――というよりも苛立ちを背景にしている.白昼堂々とトラウマを語ることにたいする苛立ち.精神の病を‘自称’する行為への苛立ち【狂気といいトラウマといいずいぶんとお安くなったものだという憤り.精神病とはヒトデナシになること,トラウマとは人生史の一部に為しえないほどにオゾマシイ印象のこと,そのように考えるがゆえの違和感】.それは人目もはばからずに駄々を捏ねる子供をみたときの苛立ちに似ている.この苛立ちは疎ましさとともに羨ましさでもあるのだろう.

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私の解釈は私の欲望に裏打ちされている.その欲望を,翻訳装置の歪みをどこかで把握しておく必要があるだろう.傷を見せること,病を負うこと,それもまた欲望に裏打ちされた振る舞いであるだろう.「特別扱いしてもらいたい」という欲望があるとして,その欲望が自らの生命や生活を圧倒するほど強いこと,それを充たすための手段がリストカットやトラウマ語りに限定されているということ,これもまたある種の病であるだろう.