2006-03-08から1日間の記事一覧
飛ぶ矢のパラドクスはまた感覚的質の捨象,ひいては公理系としての数学化・理念化が「運動性の」知覚/記憶とは切れたものとなる困難との関連において,ひとつのアナロジーとして参照されたことだったようにおもう. この運動性の知覚ないし記憶(あるいは感…
では,飛ぶ矢のパラドクスについて大森はどう考えるか.大森はそこに「点時刻の病理」をみいだす.たとえば数直線としての‘時間軸’を描くとき人は時間をリニアーなものとして思い描く.そのような線形時間の「時刻」の概念には「点時刻」の概念がふくまれる…
「飛ぶ矢は飛ばない」.このパラドクスもまた「重ね描き」により解消されるだろう.飛ぶ矢の軌跡に重ねあわせて直線を思い描く.そこから無数の点を取り出す(切り出す)ことができるだろう.数学における実数は,そもそもそのように構成される.しかし軌跡…
「時とともに《客観性 objectivity(おおくの人びとが妥当だとするようなモノゴト object らしさ)》が変化する」という命題.これが奇妙だとおもう感性は,いまとなっては「時代遅れ」かもしれない.現代の‘量子力学’的世界観【あるいは古代ギリシア以来の…