ロゴスの限りを尽くしながら

森があり,空があり,意識があって,町があり,家族があり,そしてぼくたちが生きてある.そんな変哲もない存在そのことにことさら気づいて,それを驚きにおいて経験すること――むろんロゴス(言葉・論理)の限りを尽くしながら――.それが,哲学のエッセンスということになる.(『現代思想としてのギリシア哲学 (ちくま学芸文庫)』pp.307-308)

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さて,「分別を離れて差別の義なきこと,これが真実の相である」.では,言葉を断念すべきか.禅には「言語道断」という言葉もある.維摩居士は「雷のごとき沈黙」をもって真理を示した.しかし,沈黙は委細をつくした言葉のあとでこそ初めて生きる.ナーガールジュナは,だから,言葉を容易にはあきらめない.かれは極限のところまで言葉にたよる.これ以上たよれないとなったとき,言葉を捨てる.かれはそのときですら,言葉を決して無用だとは思っていない.ちょうど,台を蹴って跳躍するひとが,台の意義を忘れないのと同じように.(『空と無我 仏教の言語観 (講談社現代新書)』p.123)