考える脳・考えない脳

『考える脳・考えない脳』(ISBN:4061495259)では,古典的計算主義とコネクショニズム,およびそれらにかんする議論(直観的判断,フレーム問題)の概説がなされたのち,心は古典的計算主義とコネクショニズムとの混合システムであるという著者の考えが展開される:「心の働き」のうち思考の過程は構文論的構造をもつ心的表象をその構造にもとづいて操作する過程と考えられる.モデルとしては古典的計算主義の心のモデルがふさわしい.一方,知覚,直観,スキーマの形成といった心的過程はコネクショニズムの心のモデルがふさわしい.

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心のモデルには「古典的計算主義」と「コネクショニズム」のたちばがある.これらの立場はともに「心の働き」は「脳の働き」であると考える【たとえば「トマトがみえる」という心の状態を,脳のある部位の興奮と同一視する】.
古典的計算主義とコネクショニズムとはともに「表象主義」の立場をとる:「心的状態は心的表象を含み,したがって志向的特徴と内在的特徴の両方をもつことから,心的状態は脳状態とまったく異なるようにみえるにもかかわらず,同一でありうる」.
例:「トムがスパイである」という信念(心の状態)は,志向的内容としては‘「トムがスパイである」ことを表象する状態’である.一方,内在的特徴としては‘いくつかのニューロンがある一定の興奮を示した状態’である.
古典的計算主義とコネクショニズムの違いは,心的状態に含まれる心的表象が構文論的構造を持つかどうかという点にある.

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古典的計算主義は,心的表象は「構文論的構造」をもつ(たとえば「トムはスパイである」といった文のような構造をもつ)とする.
たとえば「トムはスパイである」ことを表わす心的表象は,脳のある状態をとる.この脳状態は要素「トム」と要素「スパイ」からなる構文論的構造を備える.心のプロセスとはある心の状態に含まれる心的表象を,その構文論的構造にもとづいて処理する過程である.心 = 脳には,構文論的構造をもつさまざまな脳状態があり,それらはその構造にもとづき,分解・合成されながら処理されている.それがヒトの心 = 脳の働きである.
心的表象が構文論的構造をもつという論拠としては,たとえば「認知能力の体系性」がある:人間には関連する認知能力が同時に備わっている.たとえば「タロウはハナコを愛している」ことを思考できるヒトは,「ハナコはタロウを愛している」ことを思考することができる.思考能力には,ある思考をもつことができれば,それと関連する他の思考をもつことができるという体系性がそなわる.この思考能力の体系性は思考に含まれる表象が構文論的構造をもつと仮定することで容易に説明されうる.このほか,同様の議論は推論の体系性からも展開することができる:思考能力が体系的(システマティック)であることから,思考に含まれる表象【その内在的特徴としての脳状態】は構文論的構造をもつことが帰結する.
古典的計算主義の考え方はコンピュータにあてはまる.「コンピュータは構文論的構造をもつ記号を処理することにより,知的な作業を実行しようとするものであり,古典的計算主義の考えを体現したもの」といえる.

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コネクショニズムは,心的表象は構文論的構造をもつものとしない.したがって心的過程も構文論的構造にもとづく形式的処理過程とはみなされない.
コネクショニズムは脳をヒントにした心の見方である.ニューロン群の興奮パターンは構文論的構造をもたない.心的表象は構文論的に構造化されていないニューロン群の興奮パターンである.そして心的過程はニューロン群の興奮パターンを別のニューロン群の興奮パターンに非形式的に変形する過程である:心は複雑なニューラルネットワークであり「構文論的構造を欠く分散表象としての心的表象を,シナプスの適切な重み配置によって変形していく場」である.
コネクショニズムの立場により説明が容易になる心の働きとしては,たとえば善悪や美醜にかんす直観的な判断(意識的にはとくに何も考えないでなされる判断;無意識的判断),や技能の習熟,またいわゆる「フレーム問題」(如何にしてヒトは「フレーム問題」を解いているのか;ある課題の遂行に関与することがらとそうでないことがらを効率的に区別しているのか;ある課題の遂行に関する「知識の組織化」をなしているのか)がある.

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心は古典的計算主義とコネクショニズムとの混合システムである.一方,脳それ自体は全面的にコネクショニストシステムである.したがって古典的計算主義システムは脳とは別の場所にあるといえる.心の働きのなかには,主として外部の環境のなかで展開される働きがある.それが古典的計算主義が妥当するような心の働きである.すなわち以下のようにモデル化することができる:
心:脳と身体と環境からなるシステム.
脳:サブシステム.コネクショニストシステム
古典的計算主義システム:おもに環境に立脚するサブシステム

このモデルによって,たとえば内語・発話と思考の関係がよりよく説明されるようになるだろう:ふつう,語ることは思考そのものではなく,思考の表現であると考えられる.しかし語ることを思考の表現にすぎないとすると,ひとりで考えるときに思考が言語化される【たとえば独り言や内心の発言(内語),さらにはこのようなブログ and/or メモ書きとして】ことの意義がよくわからない.
ここで,思考がすなわち語りであるとすれば,発話しながら(古典的計算主義的に,意識的に)考えるとき,思考は声として,環境のなかで展開されることになる.さらには内語しながら考えるときも,思考は脳のなかでおこなわれるのではない【環境のなかで展開される】と考えることができる.
たとえば紙の上での計算は構文論的構造をもつ表象の変形によってなされる.表象の操作としての掛け算がおこなわれるのは脳の中ではなく紙の上である.暗算の場合(たとえば‘ソロバンの弾を思い描き,想像のなかで弾く’)は,脳の視覚皮質や運動皮質が擬似的に使用される.しかし「暗算」そのものは「視覚皮質」ではなくあくまで「視覚的に想像されたことがら」においてなされる:「構文論的構造をもつ表象の操作は視覚皮質ではなく,視覚皮質の状態(つまり視覚的表象)によって表わされる表象内容のなかで展開されるにすぎない」.

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たとえば文の適格性の判断(ある文が文法に合っているかどうかの判断)についていえば,意識的な推論では時間がかかる.一方,直観的な判断ではほとんど時間はかからない.この意識的な心的過程と無意識的な心的過程との所要時間の違いは,これらの過程が根本的に異なる過程であることを示唆する.ここで意識的な過程は古典的計算主義のメカニズムにもとづく推論的過程であり,無意識的過程はコネクショニズムのメカニズムにもとづく非推論的過程,すなわち重み配置による興奮パターンの変形過程とみなすと説明は容易になる.
学習の結果,英語の文の適格性を直観的に判断できるようになるとき,ここでは新たにコネクショニズム的なメカニズムにもとづく無意識的な過程が形成されたと考えられる(古典的計算主義がおもいえがくような,意識的な推論過程の無意識化がなされるのではない).一方,「意識的な判断」にかんしていえば,これはその文の適格性について自己教示をおこなっているとみなすことができる.自己教示の反復により脳のなかのあるニューラルネットワークシナプスの重みが適切に調整されると考えられる.すなわち「英語の文の適格性を意識的な推論によって判断する初期の段階から,それを直観的に判断する熟練の段階に移行するとき,古典的計算主義のメカニズムからコネクショニズムのメカニズムへと,メカニズムの切り替えが起こる」.