多重人格

なお『多重人格探偵サイコ』11巻のセリフを借りれば,二重人格とは「日本では1919年以降数例しか報告されていないですが……欧米ではそれこそジキルとハイド氏が書かれた19世紀末に一度流行しその後姿を消したもののアメリカでは70年代に復活80年代に大流行した症例」ということで,怖いものみたさではなく,専門(にする,かもしれない)的にみて興味ぶかいです.
19世紀末から20世紀初頭にかけての報告はあくまで「二重人格」についてのものであり,それが1970年代以降においては「多重人格」という現象として当人や治療者たちによって表現されるようになったことは,このような「人格」なるものの「解離」なる現象が,【背景に想定されているであろう】脳や神経の病理的変化ではなく「文化」や「環境」によって規定されるものであることを示しているようにおもいます.『〜〜サイコ』の雨宮先生曰く「人格が微分化される多重人格は本来有り得ない」とのことですが,同感です.「人格の微分化」という表現はちょっとなんだか,なんとなくクリスタルすぎますけれども.
雨宮先生はつづけて「光と闇,善と悪,ジキルとハイド……人の心は必ず影を持つ」と述べておられますが,そのような二項対立もまた一つの分別であり,そうした分別をさらに自己再帰的に反復して適用することで「人格の微分化」がもたらされるのだ――とまとめてしまうとなんだか安っぽいのですが,基本的にはそのように考えます.