蔵書整理(2)

ginga

▼そういえば読んで(持って)いなかった本や作者
大江健三郎万延元年のフットボール講談社学芸文庫:これは自信をもって持っていなかったといえる.なにせ講談社文芸文庫から出ている本は高価なので一度購入すると忘れません.

三島由紀夫:先日,「暁の〜」ではじまる三島由紀夫の作品に心当たりはないかと質問されて答えに窮した.しかしそもそも『豊饒の海』どころか『潮騒』も未読なわけで【それが何か問題なのですかというツッコミはさておき】【しかしなぜか「その火を飛び越えて来い」というセリフには聴き覚えがある】,というよりそもそも読んだことのある三島作品は『金閣寺』と『仮面の告白』と,というのはまあ一般的としても,のこりの一冊が『音楽』だというのはどうしたことだろう.

泉鏡花:けっきょく「高野聖」「夜叉が池」「天守物語」しか読んでおりませなんだ.

宮沢賢治:けっきょく手元にあるのは『宮沢賢治詩集』と『銀河鉄道の夜』(いずれも新潮文庫.装丁が好きです)のみ.『風の又三郎』も手元にあると思いこんでいたのだけれども.そういえば先日,EGO-WRAPPIN'の「moonlight journal」【『Merry Merry』というアルバムに収録.収録曲のなかでは「悲しみのプレリュード」がもっとも好みですと余談】を聴いていたところ「ここからはおまえ1人で突き進むんだ」という一節が耳に留まり,これはきっとブルカニロ博士の御言葉に違いないと新潮文庫の解説のページをめくってみたものの該当するような記述がない.もしかすると岩波少年文庫のほうの解説で目にしたのかもしれない.
そういえば先日,心臓移植の話をきいた折りには「こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい」だの「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」だのといった言葉を連想していた.その気持ちには凄まじい魅力と一抹の違和感とが感じられて,ドナーカードの選択肢を未だに定めることができない.このからだそらのみぢんにちらばれ.【鳥葬や風葬というものにはわけもない憧れがある.その一つのバリエーションとして,自らの五臓六腑を取り分けてもらうというのもありかもしれない】(参照:id:somamiti:20060429).

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▼気がつけばそれなりに読んでいた本や作者

谷崎潤一郎:つい先日まで「四畳半襖の下張」はこの人の作品だと勘違いしていた.いつかは行きあたるだろう楽しみだなあと中学生のようにして読みすすめるうちに新潮文庫からでているものがすべて手元にそろっていたようだ(および『陰翳礼賛』中公文庫).げにおそろしきは助平心よ.とはいえ『細雪』はけっきょく半ばまでしか読んでおらず,『吉野葛・盲目物語』は未読.せっかくなので関西(大阪?や吉野(奈良?)あたり)の地図を手元に読んでみようとおもう(正直なところ『細雪』は風物のイメージを描くことができず,途中で字面を追うだけになっていた).

大江健三郎:整理したところ,新潮文庫から出ている本をどうやらコンプリートしていたようだ(『私という小説家の作り方』まで).でも大江健三郎はなにかというと『万延元年〜〜』ばかりが引用される印象があるのでこれを読んでいないと「大江健三郎? ああ,あれね〜」と嘯くことは,なかなかにできません.あとの手持ちは『新しき人よ眼ざめよ』と『治療塔』.それにしてもどうしてこんなに読んでいるのだろうと不思議におもう.後の作品になるほどに他の自作にたいする言及や暗黙の照応が挿し込まれてくるので,なんというか〈神話もの〉のような,セカイ設定やキャラクターを共有するラノベやゲームを読んでいるような感覚になるのだろう(なかば楽しみな,なかば強迫的なコンプリートへの欲望).
なお初めて読んだのは『性的人間』であり,収録作の「セヴンティーン」は思春期になるかならぬかの子どもにはかなり衝撃的な作品だった.こんな小説の作者がノーベル賞だなんて,皆のためになることをした人にこそふさわしい賞をもらってしまったことが不思議だった――というよりも「別の作家のことかな」などとおもっていた.「みんながおれの悲しく滑稽なよたよた走りを眺めていた,世界中の他人どもがみな嘲笑しながら,青ざめた頬に苦しみの涙をたらし唇を黄色にして内股でちょこちょこやっている汚らしいセヴンティーンを見つめていた.他人どもは,さっぱりとして乾燥していて雄々しく余裕綽々だった.……」から「自分の弱い生命をまもるためにあいつらを殺しつくそう,それが正義だ」「酷いことをされ傷つけられた弱い魂のための,それが正義だ!」に至る流れがすんなりと入ってくるという,あたりまえの・そう愉快ではない日々をそのころは生きていたようにおもう,いまでもそれはさして変わることなく,強いていえば「おれは,物理的空間の無限と無の観念から,時間の永遠と死せる自分の無の恐怖にみちびかれて気絶したのだということを告白できず」という点にかんしてのみ,すこしばかりスタンス(スタイル?)の変化が生じたのかもしれない.

江戸川乱歩古書店に廉価でならんでいたり,BOOK OFFで105円で叩き売られていたりする本を買ううちに,気がつけば有名どころの作品はそこそこ読んでいたような気がする.手元にあるのは春陽文庫から『陰獣』(これに収録されている「踊る一寸法師」がはじめての乱歩体験だったようにおもう),『D坂の殺人事件』("D坂"なんて略するとギョーカイ用語ぽくってカコイイかも)『パノラマ島奇談』(大槻ケンジ『くるぐる使い』に収録されている「春陽綺談」で言及されていたので読みたくなって購入),『人間椅子』(「人でなしの恋」の姿は一つの理想像だ.人形(あるいはフィギュア)にたいする愛もここまでゆきつけばひとつの〈美しさ〉であろう.とはいえその美しさこそ己のものだと思い描いてその姿格好を己において形づくるという振る舞いには,ある種の興味ぶかさを感じる一方で,それはその〈美しさ〉を損なう振る舞いだという嫌悪感を覚える【そして疑問を抱く:その振るまいが冒涜であることへの自覚はあるのだろうか.おそらくはあるのではないかとおもう.だからこそ興味ぶかい】.春陽文庫というレーベルは表紙,装丁ともこだわりが感じられて好きです.また角川ホラー文庫からは『化人幻戯』(表題作「化人幻戯」の由美子さんがステキすぎます.嗚呼,貪り食われたい).

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