古都

古都 (新潮文庫)』を読み終わる.疏水さんのお勧めのこと(四季折々の京都の風物が楽しめるという点だけでもよいですよ)もあって途中までは登場する地名や名勝を『歩く地図・京都』の解説とひきくらべながら読んでいた.寝ながらにしてちょっとした散歩や旅行気分が味わえてよかった.以下,新潮文庫山本健吉さんの解説から引用.

この小説は京都を舞台にして、一方では京都の年中行事絵巻が繰り拡げられ、他方では京都各地の名所案内記をも兼ねている。全九章のうち、「春の花」「尼寺と格子」「きものの町」は春、「北山杉」「祗園祭」は夏、「秋の色」「松のみどり」「秋深い姉妹」は秋、「秋深い姉妹」の終わりごろから「冬の花」は冬である。そして、年中行事としては、花見、葵祭、鞍馬の竹伐り会、祗園会、大文字、時代祭、北野踊、事始めなどが書かれ、名所や土地の風物としては平安神宮、嵯峨、錦の市場、西陣御室仁和寺、植物園、加茂川堤、三尾、北山杉、鞍馬、湯波半、チンチン電車、北野神社、上七軒、青蓮院、南禅寺下河原町の竜村、北山しぐれ、円山公園の左阿弥その他が描かれている。

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それが「祇園祭」を境にして,「秋の色」のころから次第にお話のほうが(というよりも二人の行末が)気がかりになってしまって太吉郎さんのお茶屋遊びのほうはなんだか読み飛ばしてしまったようにおもう.すばらしかった.それにしても単行本の口絵は東山魁夷さんだったそうでそちらのほうも見てみたい.
解説によれば「作者は、美しいヒロインを、あるいはヒロイン姉妹を描こうとしたのか、京都の風物を描こうとしたのか、どちらが主で、どちらが従か、実はよく分からないのだ」とある.また解説者自身は「京都の風土、風物の引き立て役としてこの二人の姉妹はある」という考えに傾いているという.
私としては「どちらが主で,どちらが従か」ということよりも「よく分からない」というところ,風土と人物とが分ちがたく交織され彩をなしているというところに興趣を,そして(どうにも安易な表現であるが)美しさを感じる.

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『古都』を読み終わったときには「うーむ,どうやらこれで終わりのようだけれどもほんとうにこれで終わりなのか」と感じた.どうにもお話しを読むときには起承転結を――というよりも人物(キャラクター)を焦点にすえて読むくせがある.そのキャラクターの「設定」や「動機」からその先にある「行為」を,また敵や罠に代表される克服されるべき「障害」を,そうするうちにあらゆる「伏線」は語りつくされて「そうして,二人はいつまでも幸せにくらしましたとさ,おしまい」のようなエンディングがあからさまに語られることを期してしまう.そのことをあらためて自覚した.

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粉雪がちらつくなか去ってゆく彼女は振りかえらなかった.こうしたふるまいからは‘疾走する少女’を連想する【関連:id:somamiti:20041019】.たとえば『エレンディラ』であり『ZOO』に収録されている「落ちてゆく飛行機の中で」である.そして『妖精族の娘』もそうであるが,それよりも『魔法使いの弟子』のラストシーンのことが鮮烈におもいだされる【幾多の化生どもを従えて数多の山脈海峽を踏み越えて,月の光が消えて門が閉ざされるそのさいごの瞬間に魔法の国へとたどり着いた(帰還した)魔法使い.そうして地上の世界と魔法の世界とのつながりは永久に断たれることになる】.

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とここまで書いたのちにシーンを参照しようと書棚をさがしたところ,当の本が見あたらない.どこかに紛れているのかと家捜しすれども見つからない.さらには確かに持っていたはずの本が数冊ほど消えうせている.

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それにショックをうけてこの数日は書棚などの整理をしておりました.その顛末についてはまたなにかの折りに.