中世哲学マップ

カッとなって記したところ,長くなってしまいました.
参考文献
1.哲学マップ (ちくま新書)(第3章)
2.哲学 原典資料集(第2章)
3.中世哲学への招待―「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために (平凡社新書)

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中世哲学とは(文献1)
中世ヨーロッパにおけるキリスト教の支配 → この時期の哲学はキリスト教の「神」との関係における人間とその知の位置づけを問題とする(神学の婢)
神と人間(その自由意志)を関係づける道具としてイデア(形相)がもちいられる(関連:イデアや形相の位置づけ.(1)古代:イデア界にある → (2)初期中世哲学:「神」のうちにある → (3)近世:人間一人一人に内在する( → いわゆる“主体”)).中世以降の哲学における「神」は古代哲学におけるプラトンイデア界という超越的場所に代わる超越的存在である.神という超越的存在を想定することにより人間のあり方を定める回路が開かれる:「神」の特性に応じて,「神」の被造物である「人間」のあり方が規定される.

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キリスト教的「神」(文献1)
宗教的なもの:「日常は非日常的な時空間によって区切られ,意味づけられ,構造化されている」(平日と祭日(祭りや正月),市街地や村落の「中心」に位置する神社,ハレとケ).〈宗教的なもの〉すなわち〈神〉は“祭り”や“神社”といった「時空間的特異点」において垣間みられる.
キリスト教的「神」は以下の特徴をもつ:
1)唯一神:特定の機会(さまざな時空間的特異点)において垣間見える〈宗教的なもの〉を一個の人格として固定し,それ以外に同等の存在を認めないところに成立.
2)存在者:性別をはじめいかなる特定の性質ももたない.「ただ単に存在する者」である:「神」の名である「ヤハウェ YHWA」は「存在のみを本質とするもの」(ありてあるもの,ego sum qui sum)という意味のヘブライ語(エフェエー・アシェル・エフェエー)に由来するとされる.
3)原罪と救世主:アダムとイブが神に背いて禁断の果実を口にして楽園(エデン)を放逐されてのち,人間は「原罪」を負う.「原罪」を負う人間を救うとされるのはイエス・キリストである.だれが救われるかは「最後の審判」により定められる.
4)終末論:人類の歴史は神の天地創造にはじまり最後の審判に終わるという歴史観
5)世界宗教:「神」は一定の資格(信仰)さえみたせば誰であろうと救済する.

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自由意志・原罪・普遍論争(文献1):(1)神は完全な存在 = すこしの悪意も持たない善意の存在である.一方,アダムとイブは神の言葉に背いて知恵の果実を口にし,そのために楽園を追われた( = 原罪).(2)原罪のもとは果実を食べようと決意した二人の自由意志である.それが神への裏切りをもたらした.(3)自由意志の誤作動によるアダムとイブの原罪は人類すべてが背負わねばならない.なぜならアダムは全人類の祖先であるからだ;アダムの本質は人間一般の本質である.「原罪を負う者」というアダムの性質はヒト一般に該当する普遍的本質である → それでは一人一人の人間と人間の普遍的本質との関係はどのようなものか.そもそも「普遍的本質」なるものはあるのか.中世哲学はこれらの問題をめぐる「普遍論争」として展開する.

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中世哲学とは(文献2)
中世哲学は,イエスを媒介にギリシア的ロゴスが異様に新たなロゴスに脱自・転位してゆくことにはじまる.
エスは根拠【神】の子(ロゴス,言)として受肉し現成し(真理)する.そこに根拠の三位一体的な内的構造が開示される.根拠【神】の「子」であるイエスは根拠への関係・道として,人間を根拠へ帰郷してゆく旅人(homo viator)となし,そのロゴス的構造(神の似姿 Imago Dei)を示す.
帰郷のテーマ:ネオプラトニズムでは肉体から脱自する精神(ヌース)の覚醒(グノーシス)が帰郷【根拠への還帰】とされた.中世哲学では帰郷は全体的な根拠との交わりとされる;人間の運命や歴史や自然はみな根拠との出会い,あるいは秘蹟的しるしでありうることを開示する( ← イエス受肉,復活)
中世哲学の区分:(1)教父時代(1〜8世紀),(2)いわゆるスコラ哲学の時代(9〜14世紀).
教父はギリシア哲学から根拠への帰郷(プロティノスの内なる帰郷)の思索を受けとり,キリストにこの帰郷の道(根拠の生命的現成・真理)を見出した愛知の人びとである.彼らは『聖書』言語との対話により思索し生きた(新約聖書 → 『ヨハネ福音書』は根拠とその独り子なる言・ロゴスの関係,およびロゴスの受肉を語る.旧約聖書 → 『創世記』はロゴスの言分け = 事分け(創造)性と,その似姿としての人間の構造を示す( → ギリシア的ロゴスの超克).『出エジプト記』は根拠と人間との脱自的かつ歴史内在的な存在性格を開示する( → のちの存在概念への影響)).教父哲学では根拠とそこへの帰郷の道【神とそこへの回心】が自己の根源への回帰として言葉に刻まれる.そのような回帰の生と言葉の結晶としてキリスト教が形成される.
スコラ哲学はスコラ(学校)を場として学僧たちにより形成された.彼らは根拠と帰郷とを,スコラ(学校)の場において学的方法をもちいて明晰に示そうとした;プラトンアウグスティヌス哲学は帰郷の指標を示しつづける.この帰郷の道にアリストテレス哲学がロゴス的・論理的性格を刻む.信仰にたいする理性の受容性と自律性,信仰による帰郷と理性による帰郷との調和が問われた.
中世晩期には自然と超自然,知と信の分裂が促進され近世ルネサンスの勃興にいたる.知は自然科学的知となり,信はさまざまな媒体(秘跡,教会や修道制,自然神学など)を排し,直接神とかかわろうとする内面的近世的人間像となった( → 宗教改革).
中世哲学の今日における問いと遺産:(1)根拠における内在的にひらかれた超越の構造の提示:根拠 = 人間に対する非相関者であるがゆえに恵みを与える絶対他者,三一的交流,無限存在…….(2)根拠を探究するものとしての人間の,超越的にひらかれた内在の構造の提示:人間 = 自由意志とアガペーを通じて根拠を希求するもの / 知性により知性を超えて根拠を探究するもの.(3)根拠と人間とのコイノーニア的媒介となるフィールド:信と理性の調和,聖性としての身体,秘跡神秘主義,芸術,信条的言語など.

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