イデーン』の訳書には「実」という語を含むさまざまな語が登場する:実在 Realität,実体ないし実体性 Substanzialität,現実 Wirklichkeit,確実,充実,内実,真実,実然的,usw.以下,「実」という語についての連想のメモ【おもに現実/虚構の二項対立にかかわる断片】.長いかも.

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私はいつもここで皮膚が無く嗅覚が無く味覚が無く痛覚がありません.私の様な欠陥品がどれだけの感覚を持ってすればどれだけの「実感」を得ることが出来るのでしょうか.「実」とはいかなる境地において得る事が出来るのでしょうか.私にとって一つだけ「実」と言える事があるならば――
貴方に会いたい
貴方の声を聞き
貴方の姿を観て
貴方を抱いて
貴方と
貴方の感じる全ての感覚を
私の心の「実」としたい.
(「空談師」『篠房六郎短編集~こども生物兵器~ (アフタヌーンKC)』)

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実とはなにか.虚構と現実の分別をつけること.その分別 = 境界を措定(Setzung = セッティング)したうえで,あらためて落差を言いたてること.その落差を在り在りと「実感」すること.

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実とはなにか.たとえば"時熟する sich zeitigen こと"【sich zeitigen : sich = 自ら(に,を),zeitigen = vt(努力などが成果を)もたらす,招来する / vi 《オーストリア》(果実が)熟する,うれる)こと】.果実が実ること,実が現れる――実現すること.現実となること.

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虚構と現実の区別にかんする"教育"における論議;たとえばゲーム世代の"常識 common-sense"のなさにかんするクリティーク;「現実」を「ゲーム」とみなして生きているのではないかという危惧(人の死(命)の軽さと"リセットボタン","復活の呪文").このような指摘;ゲーム世代の人々は"現実"を"虚構"とみなして生きているのではないかといった指摘.そこには(そこにこそ)現実と虚構の区別があるだろう.そのような区別をセッティングすることと「本当の自分」や「実感」「リアル」へのこだわりとはコインの表裏であるようにおもう.常識のなさ――コモン・センスのなさ.それは(1)リアルを感じるセンス(実感)の欠落であろう.そして,それは(2)共通のセンス(意味,感覚)の無さとなる.
リアルのセンス,皆に共通であるはずのセンス.そのセンスが欠如しているとしかおもえないようなヒトにたいする不安,悲しみにもにた憤り.その背景にあるのは自らの action にたいする reaction への拘りであるようにも感じる.対象物の実感を得ること,その対象が現実に存在することを確かめるためにはその対象物を「手にとって動かす」「味わってみる」といった行為が有用だろう.そしてその行為にたいするレスポンスによって,それらのアクションと共働したリアクションが得られることによって,その対象のリアリティが観取される【リセットボタンの喩えの含意の1つ;「このセカイ」が潰え去ったのちも(ボタンを押す権能をもつプレイヤーであるところの)「このワタシ」は残るというスタンスをとること】

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現実(リアル)と虚構(ゲーム)という分別が除去されたときのことを想定しよう.現実 = 虚構.このとき「現実」のセカイと対峙していたワタシもまた現実 = 虚構の"存在"となる.ここにマヨイガへの道がある:それでは現実 = 虚構のセカイやワタシとは異なる「本当の私」や「本当の現実」がどこかにあるのだろうか【だけれども本当の幸いとはなんだろう,僕,わからない】,彼岸に対する此岸として「この世界」「この現実」をみるというスタンス【どこまで追いかけても追いつけないのが本当の私,充実した私です.本当の私はどんどん離れてゆきます.今ここにいるのはウソの私です】.
現実と虚構とに分別をつけること――このフレームにおいてモノゴトのケジメをつけることが"虚構"の"牢獄"からの解放をもたらすことは(逆説的に)ないようにおもう.そのような分別の苦しみにたいするリアルとの接触・交流の推進(たとえば社会参加の援助など)は対症療法にとどまるだろう(それもまた重要な方便の1つであるといはいえ).その方便の舟では救えぬものもいるだろう;その方便の舟に泥の臭いを嗅ぎとる人々もいることだろう.

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リアルをリアルとして感じるセンス,皆が皆,共通にもっているはずのコモンセンス.生の実感(ナマのリアリティ).その快復のためのリアルとの接触.リアルの証し――現実がまさに現実であることを証しだてる標し.「確実」なものとして経験されること.感覚的なものととして与えられることがら――たとえば快(五感の快,運動感覚の快(自在に手足を動かせることの悦び),家族や共同体との紐帯のもたらす快,親しいものと共にいることの悦び,さらには性的快感),あるいは苦(五感の苦,飢えや痛み,苦痛なまでの緊張や興奮).ここから遡って設定されるリアルらしさ(リアリティ)の設定:現実の標識としての快苦への拘り.身体の感覚への拘り.

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ほーら,痛みがないから普通に喋っちまう.こんな世界じゃ何も楽しめない.リアルじゃねェからな(同前)

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苦痛や快感の希求,ひいてはエクスタシー ex-stasis(自失,脱自)の希求――ここではないどこかへとイクことの希求.そのような処方への違和感.それはたとえば『オラ!メヒコ (角川文庫)』を読んだときに感じた違和感でもある【旅の紀行文としての面白さは別にして】.分別を取り去るのに,ことさらに遠くに行くこと,秘薬や秘儀などに参入するのはじつのところ必要ではなく,ときに逆効果であるようにおもう.

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この世界は偽りだから / 断片しか存在しない / 断片だから安心する / 現実を理解する代償だから / 私は傍観者だ / 他に世界を認識する方法を知らない / 孤独は私の内に在る
(同前)