光の似姿

ゴシック様式がはじめてあらわれたのはパリ近郊のサン・ドニ修道院付属教会堂の内陣改築工事(1140着工,44年完成)においてである.またゴシック様式が大聖堂の建築様式として採用されたのはパリから120キロほど東南に位置するサンスのサン・ラチエンヌ大聖堂の改築工事(1140年ごろ着工,68年ごろほぼ完成)においてである.
ゴシック様式の教会建築の特徴は3つある.
(1)尖頭アーチが天井に使用されている.これは昇高性をアピールする.
(2)側壁に縦長の大きな窓が穿たれている.この窓により堂内に光が大量に入ってくる.そしてその光は外光そのものではなく,ステンドグラスの濃厚な色彩を通過した低明度の神秘的な光である.
(3)飛梁(フライング・バットレス)と控壁(バットレス)の使用.これらは堂内の柱を外側から支える石の角張ったアーチおよび柱である.これらは蟹の足のように外壁からせりだし,ゴシック教会堂の概観を決定的にグロテスクにしている.しかしこれらの構造によって堂内の柱は細身でも石造り天井の重みを支えることができるようになった.
(pp.8-10.)

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「偽ディオニュシオスはまず新約聖書にあるとおり,神は光なり,と説く.次いで「すべてのものは,神から出て,神に向かっている」というパウロの言葉(「ローマ人への手紙」XI-36)を新プラトン主義的に解釈し,神の光は不動の同一性を維持しつつ,被造物たちに向けてその光を発出し,さらに被造物たちから神自身に向けてこの光を還帰させて,被造物達との統合を実現すると説く」.
この発出の理論の特徴は,被造物たちは神との類似度に応じて神の光を分有しているとした点にある:
被造物たちはみな神の非物質的な光をうちに宿している.それゆえ自然界の物質的な光も神の非物質的な光をそれぞれ分有しているのである.「物質的な光は非物質的な光の似姿(イメージ【imago】)なのであり,この似姿(イメージ)はいわば類似的記号,神の光を指し示すとともに神の光を内在させている記号なのである」.
それゆえに神の光と自然界の光とのあいだには連続性があるということになる.ゆえに「教会堂のなかで物質的な光をカリスマ的に発することができるならば,その光は神のカリスマ的な光を再現しつつ反映しているということになる」.ステンドグラスを通過した多色の魅惑的な光は,ある程度,神の国のリアルな光輝なのである.(pp.85-86)

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ゴシックの大聖堂は中世の社会が神の国と交われる唯一の場であった:都市に大聖堂は一つしかなく,そこにはしばしば都市の全人口が,ときには農村域を含めた司教区全体の人口がきれいに収まった.たとえば当時人口一万だったアミアンの市民は全員がアミアン大聖堂に入ることができた.
堂内に収まったこれら中世社会の人々は,大部分が知性よりも感性で神を捉える傾向があった.天上の神には実感が持てずにいたが,大聖堂の尋常ならざる光輝が神の似姿(イメージ)だと教えられて神の存在を認め,この世の支配者としての神の物的権威を承認した(p.90)

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ゴシックの大聖堂は神の非物質的な光輝と自然界の物質的な光輝がともに肯定されるような曖昧な調和の空間だった.堂内の光は物質的な光でありながらある程度,神の光を分有していた.神秘的な信仰と合理的な説明の調和をこころみたスコラ学のスタンスも,このあいまいな調和を尊ぶ中世の精神の枠内にある.
しかし14世紀になるとこの曖昧な調和は破られてしまう.オッカムのウィリアムにより信仰と理性は切り離され,神の世界を理性で説明することは斥けられる.またオッカムはイデア・類・種といった普遍概念をあとから付加された非実在の名にすぎないとし(唯名論),個物のなかにも普遍が宿るとする偽ディオニュシオストマス・アクィナスらのネオ・プラトニズム的な考え(実在論)を否定した.……(p.105)