水没ピアノ

「少しは本を読んでおくべきだね。あなたはポール・オースターも知らないのか?」
「うるさい。『ムーン・パレス』は、タイトルだけ知っている」

  • -

ちなみにソマミチはポール・オースターや『ムーン・パレス』という名詞をこの一節を目にして初めて知りました.そのようなわけで本日はおそらく『水没ピアノ 鏡創士がひきもどす犯罪 (講談社ノベルス)』の感想.

  • -

引用,オリジナル,幽霊.佐藤友哉の小説からはこうした言葉を連想する.
水没ピアノ』には‘ブンガクへの目配せが過剰に増えている’という印象を抱いた.おもに「引用病」者による引用・参照による.ときに必要の感じられないところで為されてるそれらには空虚さを感じた【なお内容もやはりミステリとはいいがたい.がこれはあい変らずだとおもう】.そこに同族嫌悪めいたイヤラシサを感じた;虎の威を借りたキツネと裸の王様(もちろんソマミチには「このうえなく美しい衣装」がみえる)を一緒にしたイヤラシサ.それゆえ『ピアノ』はあまり楽しめなかったのであるが,その空虚さをむしろ際だたせるようにして引用・参照がなされているのだとすればそれはなぜか.‘ここでは先生は幽霊のように遍在している(id:somamiti:20060324)’.とすれば,〈作者〉にとっての「読者」もまた幽霊のように遍在している――

  • -

幽霊のように遍在している読者に宛てにして(あてどなく)物語をかたること.そのことと‘〈水没ピアノ〉をひきもどす’こと,メールによる文通相手(異性)とのリアルな遭遇を試みること,その他もろもろのミステリにおける真実(真正な過去)を曝きだそうとすることとはアナロジーを為しているのかもしれない.
そして執拗な反復のいずれにおいても出会いが果たされることはない.「だから僕は,消えたいと思います.自分自身を時間のすみに追いやろうと思います.そして,やり直しの『僕』が生まれるのです」.

  • -

このような視点を設定すると『水没ピアノ』もまた興味ぶかい物語(表現)としてあらわれてくるようにおもう.もちろん作者の意図などはさておいての話.いわゆる作者の意図はフィクションとリアルとの違いの表現にあったのかもしれない.物語やキャラクターは,フィクションは,いくら精密に積み重ねてもリアル(生ま身)にはかなわない.フィクションはリアルにはつねに出し抜かれてしまう.紙や電子のお手紙をいくらやり取りしたってアナタには実は届いていなかった.だからもう「書を捨てよ,街に出よう」(引用)【「生身の読者(受信者)/ 幽霊 = 作者の声」「いくらリアルから呼びかけてもフィクションのキャラクターには届かない」などと逆からの読みを重ねることもできる,とふと思った】.

  • -

作者と読者――というよりも発信者と受信者,彼岸と此岸といった言葉からは‘無人島の浜辺に漂着する瓶詰地獄’を連想する【考えてみれば幽霊はかならずしも彼岸ではない――ああなるほど.「瓶詰めの手紙」が「幽霊」だな】【言葉遣いとして,〈作者〉よりも発信者のほうがニュアンスが希薄でいいかもしれない】.「瓶詰の地獄」といえば『ピアノ』も『飛ぶ教室』も【というよりもこのシリーズそのものが】仲の良すぎる兄妹(ときに姉弟)がイチャラヴ(?)でイヤ〜ンな気分になるのですが,これはべつに美少女ゲーム等への目配せではなく,夢野久作を意識してのセッティングだったとすればとても痛快な話なのですが,まあそういうことはあまりなさそうですね.
という文体の変化から察するに本日はこれまで.

      • -

追記:これまでの佐藤友哉関連の日記
id:somamiti:20051028
id:somamiti:20051030
id:somamiti:20060211