エナメルを塗った魂の比重

またもや読書メモ.本日は『エナメルを塗った魂の比重』について.
エナメルを塗った魂の比重 鏡稜子ときせかえ密室 (講談社ノベルス)』は予想以上に楽しかった.事前に‘この本で用いられている表現を理解することはオマエには無理だ’などとid:Gen-eさんから脅かされていたこともあり,「北海道版の高橋れんむ」※という比喩にぶつかった時点で‘やっぱり,しっかりしたオタク教養がないとユヤタソの小説は楽しめへんのやろか’と投げ出していた.北海道版? 何の? しかしながら数日後,おもいかえして‘まあそこはそれ’と読みとおしてみれば,そのような喩えがわからないことは,すくなくともこの小説を楽しむうえではさして障害とはならなかったように感じる【それよりもむしろ意外に多かったJOJOネタに同類臭を感じてやれやれだぜ.ドララ〜】【考えてみれば個々のタームの意味がわからないままに読み進めてゆく作業は文系の翻訳文献で慣れっこのことだった】.ミステリ小説としては西尾維新以上に反則であるとおもうが,もちろんミステリは期待していないので問題はない.コスプレやドッペルゲンガーといった題材と最後のオチに至るまでの話の展開にかんして,それぞれの加工や演出に一貫性が感じられ,スッと腑に落ちる読了感だった.
たとえば京極夏彦の小説(とりわけ京極堂シリーズ)では,作中における妖怪をめぐる語らいが,それを包含するところの事件そのもののアナロジーとなっている.妖怪ナニガシは事件のメタファーであり,ナニガシをめぐってせめぎ合う京極堂らの語らいは,事件をめぐって人々が織りなす物語(小説)のアレゴリーとなっている【あるいは相互に参照し合う】.あい異なる題材についてのそれらの物語はじつは一つのことを語っていたのだという気づき,並列する筋糸にメタファーをてがかりとして横糸が通されることで浮かび上がる一つの‘あや’,その仕掛けに気づいたときのアッというおどろき,これが京極堂シリーズの愉しさだとおもう.扱われている題材や語り口は違えども,それと同じ面白さを『エナメルを塗った魂の比重』には感じた.
とはいえ同様の仕掛けが(より一層たくみに)ほどこされている小説は数多くあるだろう.このような感想を書き散らすほどにこの作品を愉快に感じえたのは,その題材や加工法の選定が私的な趣味に合ってしまっていたからだろう.せっかくなので『水没ピアノ』も読もうと思う.

【関連:id:somamiti:20051028(『フリッカー式』の感想),id:somamiti:20051030(ライトノベルにかんする覚書),id:somamiti:20060131#p1(メタファー,アレゴリーについて)】

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その他,この数日で『プラトンアルキメデスの立体』を眺め,『族長の秋』を読み,『ザッヘル = マゾッホの世界』を読んでいる.『族長の秋』についてはまた後日.

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※ただしくは「高坂れんむ」.美少女ゲームのキャラクタの名前だとばかりおもっていたが,どうやら高名なコスプレイヤーのことを指していたらしい.