阿部一族・舞姫,ほか

阿部一族舞姫』(ISBN:4101020043)『山椒太夫高瀬舟』(ISBN:4101020051)を読了.意外とカジュアルだな,というのが総じての感想.
舞姫」については内容そのものはさておき,それと文体との組み合せが面白かった.解説によれば「当時としては極めて新しい組合せ,すなわち近代的な内容と漢文調と和文調とを巧みにないまぜた斬新な雅文体との組合せ故に大変な評判を取った作品であった」とのこと.「山椒太夫」は子どもの頃に「安寿と厨子王」という題名の絵本として読んだことのあるお話.
とりわけ興味ぶかく読んだのは「かのように」および「寒山拾得」(いずれも『阿部一族舞姫』所収).「かのように」では「人間の智識,学問はさて置き,宗教でもなんでも,その根本を調べて見ると,事実として証拠立てられない或る物を建立している.すなわちかのようにが土台に横たわっているのだね」(p.123)と語られる.「寒山拾得」は「徒然草に最初の仏はどうして出来たかと問われて困ったと云うような話があった」(「附寒山拾得縁起」)という主題にかかわるお話,さらにいえば鴎外が子どもにむかって云った「実はパパアも文殊なのだが,まだ誰も拝みに来ないのだよ」という台詞が端的に表わしているようなお話.このようなお話がとっくの昔になされていることがおもしろい.

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しばらくまえにフルキエの『哲学講義』(ISBN:4480083413,など)に一通り目を通した.『哲学講義』は,フランスの中等教育の最終学年(高校3年次に相当)で使用される哲学の教科書の翻訳である.伝統的に哲学を重視しているフランスの教育では〈哲学〉は高校三年次の必修であり,専攻を問わずバカロレア(大学入学資格試験)の必須受験科目であるという.そんなわけで〈哲学の教科書〉はレベルが高く,その代表的なものがこの『哲学講義』である【訳者解説より.そもそも翻訳がなされたのは1970年代のことなので,今もまだそうであるか否かはわかりません】.それぞれの用語や概念の説明がラテン語(あるいはギリシア語)の原義からはじめられている点はよかった.ただし,それぞれの問題にかかわる解釈や概念が紹介されたのち,たいていは一方が(常識あるいは bon sens にもとづき)批判され否定されているという点には馴染むことができなかった【なお,解説によれば,そうした〈常識〉による批判が,さらに読み手の〈ボン・サンス〉による批判的な読みを誘発するという点で,本書は「高度に公正な教科書」であるとのこと】.いろいろと興味深い箇所もありましたが,いろいろと不満がのこるというのが総じての感想であり,古本での購入で丁度よかった【4冊組みとはいえ,この内容で6000円の代価は私は納得できないです.また,欲をいえば索引を付けて欲しかった……】

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その他,舞姫つながりで重松清の『舞姫通信 (新潮文庫)』を購入し,冒頭に掲載された《舞姫通信》の「…….空に踊る舞姫を,私たちは愛します.地に横たわる舞姫を,私たちは愛します.……」という一節におもわず引き込まれ,その日のうちに読了.しばらく前に書かれた作品であるためか,どことなく既視感を覚えるような道具立てでもあり,小説を読みなれた人は‘チープな作品だ’という感想を抱くのかもしれない【といいますか,チープだな,とおもってしまいました】.とはいえ,学校だとか思春期だとか青少年の悩みだとか,そうしたものにはどこか安っぽいところがつきまとっていて,それにたいする回答も安っぽさばかりが鼻について,なんとも厭らしいけれどもその安っぽさまで含めての苦しみなのだろう,などということを柄にもなくおもいました【それにしても,偶像としての舞姫を賛美する一方でリアルな生徒のことなど眼中に無い‘ヤモリの目をした’少女漫画マニアの物理教師に一番の親近感を覚えてしまったことに,なんともはや】.

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【追記:安っぽい,安っぽいと連呼しているけれども,それでは,どのような悩み苦しみならば安っぽくない = 高価で高尚な悩みだというのだろうか / どのような基準に照らし合わせて,またどのような動機から,安っぽい,チープだという価値評価をことさらに行うのだろうか】