哲学原典資料集(KDRV)

純粋理性批判」についてのまとめ.今度は『哲学原典資料集』(pp.141-150)を参考に.
「哲学マップ」では「カテゴリー」のみがア・プリオリな要素としてとりあげられていたようにおもう;「感性の形式」の要素がとりあげられていない【単に読み飛ばしたのかもしれないが】【なお「哲学マップ」における「カテゴリー」の説明(「ひとつの」が経験に先立たないかぎり,そもそも経験が成立しない,p.82)で持ち出された例は,のちにフッサールの経験の構造の分析の紹介で持ち出された例(p.155)と似ているようにおもう.興味ぶかい】

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純粋理性批判の問い
デカルト以来の近代哲学の根幹にある問い = 人間の知的能力は,どのような意味で物質的実在や無限で絶対的なものにかかわり,どのような意味でそれらを把握できるのか.
この問いに答えるためのカントの試みが「理性批判」である.それは批判的考察により人間の知的能力の限界(領域)を定めることである.理性批判は学問論の体裁をとり,以下の2つの問いをとりあつかう.

問1:ユークリッド幾何学ニュートン物理学の知は人間理性のどのようなメカニズムによって可能となるのか.
問2:神や無限なものを対象とする「形而上学 Metaphysik」は学問として可能なのか.

純粋理性批判』の前半は問1,後半は問2にかかわる.
それまで哲学では問1と問2すなわち自然の科学的認識についての問いと無限者についての形而上学的問いとは一体となっていた.カントは理性批判を通じて2つの問いを区別する:(自然)科学は人間が経験することのできる現象についての問いである.形而上学は人間には経験不可能な物自体についての問いである.


■数学や物理学による知はどのようなメカニズムで成り立つか(問1)
ア・プリオリで総合的な判断
カントは,数学や物理学の知(認識)についての問題を「判断」の問題とする.「判断」は「AはBである」という形式で表現される.数学,物理学の真理性は判断の形で問われる.カントが強調するのは,数学や物理学は「ア・プリオリな総合的判断 synthetisches Urteil a priori」を原理として成立しているという点である.

1)ア・プリオリ = 数学や物理学は経験によって否定されることのない要素を含む.
2)総合的 = 数学や物理学の判断は世界について何事か情報を与えている.(ア・プリオリでありながら,単なる概念分析や論理的推論にとどまらない).
例:「7+5=12」という命題は経験によっては否定できない必然性を備えている.すなわちア・プリオリな命題である.一方,この命題は総合的命題である;「7+5」の概念分析からは「12」という概念は得られない.この命題は総合的命題である【B15-16】.

数学や物理学はア・プリオリな総合的判断を原理とする.ゆえに数学や物理学などによる科学的認識が可能となる.カントはこの主張を,人間理性の調査によって正当化する.


▽自然現象を現象たらしめる能力(感性と悟性)のア・プリオリな形式
人間理性の知的能力は感性 Sinnlichkeit,悟性 Verstand,(狭義の)理性Vernuft に区分される.科学的認識の基礎は感性と悟性である.
感性は‘受動的な直観能力’である【与えられた刺激を受容しセンスデータとする能力,と言えるだろうか.B75】.一方,悟性は‘能動的な思考・判断能力’である.
人間の認識は感性と悟性によってなされる.これらの能力はそれぞれア・プリオリな「形式」を備える.人間が認識・経験する自然現象は,あくまで人間の認識能力が備えるア・プリオリな枠組みにおいて与えられるものであり,それゆえア・プリオリな枠組みにもとづいて構築された数学や物理学の命題が,経験によって否定しえない必然性をもち(ア・プリオリ),かつ自然現象についての情報をもたらす総合的命題として成立するのである.


▽感性のア・プリオリな形式 = 空間と時間( = 純粋直観)
認識のためのもっとも基礎的な素材は感性を通じて与えられる.なお感性の所与(センスデータ)の背後の実在については問わない;人間が認識できるのは与えられた素材から構成された「現象 Erscheinung」のみである.現象の背後の「物自体 Ding an sich」は不可知である.

人間の認識能力のうちには感性的経験に先立つア・プリオリな形式がそなわる.感覚刺激の受容は,それに先だつ一定の「形式」を介することでなされる.その「形式」がすなわち「時間」と「空間」である:感性的経験に先だつ(ア・プリオリな)感性の「形式」である「時間」と「空間」の条件においてのみ,感性的経験とその対象(現象)は成立する.
これが,科学的な知に「ア・プリオリな総合的判断」が含まれる根拠となる.
例えばユークリッド幾何学は経験に依存しない(ア・プリオリ).その理由は,ユークリッド幾何学が空間という経験を可能にする(ア・プリオリ)条件すなわち感性の形式【B35 感性の純粋形式 = 純粋直観】についての学だからである.そしてまた空間は直観の形式【B34】である;空間は単なる論理的構築物ではない.それゆえユークリッド幾何学の知は「総合的」である.

▽悟性のア・プリオリな形式 = カテゴリー( = 純粋悟性概念)
概念を用いての思考・判断能力としての悟性にもア・プリオリな形式がそなわる.それが純粋悟性概念 = カテゴリーである.カテゴリーとしては「実体」や「因果性」がある.物理学の基本的規則(質量保存の原理,すべての変化は原因を持つという原則など)は経験からは導きだされない【経験によっては,たとえ蓋然性は保証されるとしても,必然性をもつ規則とはなり得ない】.物理学の基本的規則は「実体」や「因果性」といったカテゴリー,すなわちア・プリオリな悟性概念にもとづいているからこそ自然現象に前もって備わる規則として成立する.