目的,合理論と経験論に対して

▼カントの目的:合理論と経験論の調停,理性の批判
合理論と経験論の対立とは知性の位置づけに関する対立である.知性とは概念にもとづき推理・推論する能力である.合理論は知性を過大評価し,経験論は理性を過小評価する.カントは知性の濫用を抑制し,かつ経験における知性の役割を確保しようとする.そのための手段が‘純粋な(経験の要素を除外した状態にある)理性の(人間の知的能力の)批判的考察’すなわち「純粋理性批判」である.
【B85 弁証論 / B87-88 知性の濫用 / B127-128 ヒュームの懐疑論は数学や自然科学にはそぐわない / B787-788 ヒュームの評価と批判】

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▼合理論批判:アンチノミー,知性の限界
宇宙の無限,魂の不死,人間の自由,神の存在――これらの(人間に経験可能な事物を超えた)形而上学的テーマについて考えるのは人間として自然な傾向である.しかし,これらのテーマにかかわる何らかの主張を知性(論理的推論,合理的思考)によって行なうのは不可能である.形而上学的な事物の肯定ないし否定を知性によっておこなうとき,限界を超えた知性の濫用がはじまる――とカントは論じる.
その論拠として,カントはこれらの4つの形而上学的テーマについての論理的推論(知性による認識)がアンチノミーに陥ることを示す.アンチノミー(二律背反)とは背反する命題のいずれもが同時に成立する,あるいはいずれもが不成立になることである.論理的推論を認識の手段とする知性にとって,アンチノミーが成立する命題は有意味なものとしては認められない.そして‘宇宙は無限である’‘霊魂は不死である(分割できない実体がある)’という命題についてはその肯定(証明)と否定(反証)のいずれもが成立しない.また‘人間の自由’‘神の存在’については肯定と否定とのいずれもが成立する:形而上学的テーマについて知性を働かせればかならずアンチノミーに陥る.
それゆえこれらのテーマについては知性によって有意味な命題を確証することはできない.これらの命題はいわば‘知(論理的・合理的認識)ではなく信仰(実践)の問題’なのである.
【B790 経験の世界の外には理性の対象は何ひとつとしてない / B670 理性の自然な傾向としての形而上学的問い / B825 理性には思弁的関心と実践的関心がそなわる】.

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▼経験論批判:カテゴリー,経験のなりたち
経験論は認識の源泉として「経験」を重視し,経験に先立つ知性なるものを否定する.しかし「経験」そのものが知性の関与なしには成立しない.
たとえば‘テレビモニタを見る’という経験について考える.そのとき眼にうつるもの,ひいては感覚所与(センスデータ)は見る人の立ち位置によってさまざまである.たとえば前・横・後の3方向から見たとき,センスデータとしては3つの異なったものが与えられることになる.しかし,そのときわれわれが知覚しているのは「ひとつの」テレビモニタである.これら3つのセンスデータが「ひとつの」ものであるという性質は,個々のセンスデータそのもののうちには含まれない.それゆえセンスデータしか認めない経験論者は,こうした「経験」の成立を説明できない;「ひとつの」という規定はセンスデータからは得られない.
それゆえ,多様なセンスデータの集まりに「ひとつの」という性格づけを与えるのは感性とは異なる認識能力である.カントはそれを悟性 Verstand = understanding と呼ぶ.センスデータからは得られない「ひとつの」という性格(同一性)は悟性から導かれる.そして同一性などの概念は「純粋悟性概念」ないし「カテゴリー」とよばれる.こうした同一性などのカテゴリーが与えられないのであれば‘テレビモニタを見る’などの経験は成立しない.それゆえカテゴリーは経験に先立つ,経験を可能にする原理である.この「経験に先立つ」という性格はまた「〜に先立つ」という意味のラテン語を用いて「ア・プリオリ a priori」と表現される.
多様なセンスデータがまとめられ,「ひとつの(同一性)」といったカテゴリーが適用されてはじめて‘テレビモニタを見る’といった認識,ひいては経験が可能になる.「同一性」などのカテゴリーは,いわば近視の人にとっての‘メガネ’のようなものである.多様なセンスデータ(感覚所与)だけでは経験は生じない.それは‘メガネ’なしではすべてが朦朧として明確な像を結ばないようなものである.さながら‘メガネ’のようにカテゴリーが適用されているからこそ,日ごろ私たちはモノゴトを一つ一つ経験することができる.経験は,感覚所与と概念(カテゴリー)がセットになってはじめて与えられる.

【B33-34 直観,概念,感性,悟性,感覚,現象などの定義 / B74 認識の源泉は感性と悟性 / B145-146 悟性の認識には質料としての直観が必要 / B146 対象を認識することと思惟することは違う.認識にはカテゴリーと直観の2つの要素が必要】【B93 概念は表象を一つの共通の表象のもとにとりまとめ,秩序を与える / B103 総合(Synthesis)は多様な表象を一つの認識に統括する作用 / B104 総合は構想力(Einbildungskraft = 一 ein を形成する bildung 力 kraft)の作用.総合を概念にするのが悟性 / B104-106 純粋悟性概念 = カテゴリー / B126 カテゴリーはア・プリオリに経験の対象に関係する / B195 総合がないと経験は漫然とした知覚の断片にすぎないということになるだろう】