表象

▽哲学(参考:「表象」『岩波哲学・思想事典』)
表象 Vorstellung は歴史的にさまざまな用語で表わされた.
アリストテレスの『霊魂論』(デ・アニマ)での定義では「表象 phantasia」とは感覚や思考とは別のものであり,感覚なしには表象は生じない.表象なしに思考は生じない.表象は思考と感覚のあいだに位置づけられ,「表象は現実態にある感覚から生じた運動である」とされた【表象は,思考や感覚から区別される】
カントは表象について段階的に区分する一方,この語をさまざまな意味で用いる.「カントが使用する表象は,「直観すること」「思考すること」という作用の意味で使用される場合は〈represantation〉,また「直観されたもの」や「思考されたもの」という内容の意味で使用される場合は〈idea〉が含意され,対象から区別される.また「私に対する物」という意味での〈現象〉は「私の前に据え立てられたもの」という意味での表象であり,すべての表象は,外的であれ内的であれ,内感に属するとされる」【表象は「対象から区分される」――ここで,対象 Gegenstand はなにを指す語として用いられているのか】.
トワルドウスキは『表象の内容と対象』で表象という語における3つの意味を区別した:(1)表象作用 Vorstellungsakt,Vorstellen,(2)表象内容 Inhalt(表象のなかで表象されたもの.内在的),(3)表象対象 Gegenstand(表象を通して表象されたもの.超越的).「この表象の三義が今日では一般的である」.

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表象内容と表象対象との関係は以下のようなものと考えられるだろう:たとえば似顔絵-モデルになった人物,たとえば個別具体的な三角形(たとえば紙に描かれた図形)と‘三角形そのもの(三角形一般,三角形の idea)’(関連:id:somamiti:20050922)【表象は主観(主体)や客観(対象)という語と深いかかわりをもつようだ】.
関連:フッサールは1894年にトワルドフスキー(トワルドウスキ)の説を考察した.トワルドフスキーは「実存する対象をもつ表象」と「実存する対象をもたない表象」を区別する.たとえば富士山の表象は前者であり,ペガサスの表象は後者であるとする.フッサールは,そもそも表象の‘外にある = 実存 exist する(表象を超越した)’対象そのものを識ることがどうしてできるのかと問う.‘富士山そのもの’のヴィジョンもまた「表象」ではないのか.「表象と対象の関係は,写真と実物の関係と同じではない」(参考:谷徹『これが現象学だ』p.48).

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フロイトの表象概念(参考:「表象」『精神分析用語辞典』,他)
Vorstellung は「心に思い描かれるもの,思考行為の具体的内容をなすもの」と,「とリわけ過去の知覚の再現」をあらわす.ドイツ哲学においては一般的な用語である.フロイトの「表象 Vorstellung」の用法には一般的な哲学とは異なる点がいくつかある.
フロイトにおいて表象はかならずしも意識的な(心に思い描かれる)ものではない.たとえば「無意識の表象」という表現を用いる.このことは,フロイトの用法では哲学における Vorstellung の一般的な意味,つまり「主体的にある対象を心に思い描く」という意味が用いられていないことを示す.「表象はむしろ対象からきて「記億系」に記載されるものと考えられている」.
またフロイトにとって記憶とは「イメージのたんなる集積所」ではない.フロイトは「記憶を種々の連想系列に還元」する(記憶系).そして「他の記号と等位にあって,いかなる特定の感覚器官とも結ぴつかないような記号」を「記憶痕跡」と名づけている.この観点から,フロイトの Vorstellung はシニフィアン signifiant という言語学の概念と比較される.
フロイトはまた,表象を「言語表象 Wortvorstellung」と「事物表象 Sachvorstellung, Dingvorstellung」とに区別する.意識される表象は事物表象とそれに結びついた言語表象からなる.無意識的な表象は事物表象のみの状態にとどまる( → 「無意識について」).

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フロイトは「抑圧」の根底に「原抑圧」を想定する:原抑圧において欲動の心的な(表象)代表は意識的になることを拒まれる.その後の一般の抑圧をうける表象は,原抑圧を受けた(表象)代表との結びつきをもつ【そして,この結びつきにより,抑圧を受けた表象 X’たちの系列が無意識的な系(System)として形成される(そのコアには原抑圧を受けた(表象)代表 X が想定される)】(「抑圧」)
ある種の表象は心にさまざまな効果をもたらしうる(意識的な表象のように).しかしその表象そのものは意識的なものではない.「ここから精神分析の理論がはじまる」.無意識的な表象が意識的表象となり得ない(「抑圧」されている)のは,そこに「抵抗」があるからだ.抵抗は抑圧をもたらす.精神分析は抵抗力を除去し,無意識的表象を意識的表象にする(「自我とエス」).
「言語表象」は「記憶の残滓」である.それは「かつて知覚であったもの」「すべての記憶の残滓とおなじように,再び知覚となりうるもの」である.「意識されうるためには,かつて意識的な知覚であったことがなければならないのであり,……,内部から意識的になるためには,みずからを外部知覚に転換しなければならないのである.それは記憶痕跡によって可能になる」(「自我とエス」)

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フロイトの用語法では,記憶痕跡と記憶痕跡の備給【なんらかのエネルギーが供給されている状態】としての表象との区別は,暗々裡には常に存在している必ずしも明確には提示されていない」

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フロイトは「表象代理 Vorstellungsrepräsentanz」という語を用いる(フランス語では représentant-représentation,英語では ideational-representative と訳される).表象代理とは「主体の生活史をつうじて欲動の固着の対象となり,また,心的現象への欲動の記載のための媒介となる表象ないしは表象群」である.
ここで「代表(représentant)という語は Repräsentanz の翻訳であり,このラテン語源のドイツ語は代表者の派遣という意味に理解されねばならない」「Vorstellungsrepräsentanz を表象の代表と翻訳すればフロイトの考え方から外れることになるだろう.表象は欲動を表現するものであり,それ自体は他のものによって表現されうるものではないからである」(精神分析用語辞典).【独和辞典を引くと,Repräsentation は「代表(すること),代理(すること)」という訳があてられている.represantation(表象,再現前)とのニュアンスのずれ,その由来が気にかかる】

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