現象学チャート式

現象学 Phänomenologie は日本では20世紀初頭にフッサールが創始した哲学的立場を指すのが通例.現象学の立場につらなる有名な哲学者にハイデガーサルトル,メルロ = ポンティなどがいる.
Phänomenologie という語が造られたのは18世紀のドイツ.哲学ではもともと本体(Noumenon)から区別される現象(Phaenomenon, appearance)の学という意味で用いられていた(たとえばカントの用法).
ヘーゲルは『精神現象学 Phänomenologie des Geistes』(1807)において,精神がおのれを外に現しつつ発展(展開)してゆくプロセス――現象する精神――をそのまま記述することで,そこに弁証法の図式を読みとろうとした.
フッサールの〈現象学〉は,ワタシ(たち)にとって直接的に現れる現象(モノゴトの現れ方)の本質を記述し,認識や経験の構造を分析しようとする哲学的態度である.そのために日ごろの認識や経験における前提,すなわち現象を越えたところに認識の対象が実在するといった判断をひとまず中止することが求められる.
(参照:「現象学」『広辞苑』,木田元現象学」『世界大百科事典』)

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現象学の参考書(手持ちの文庫・新書から)
貫成人『図解雑学 哲学』(ナツメ社,2001)および『哲学マップ』(ちくま新書,2004):手持ちの文献ではいちばん簡明な見取り図.哲学全般をとりあつかっている.著者の専門の一つは「現象学」であるからその記述はそれなりに信用できるとおもう.「舞踊研究」も専門であるためか,《身体》をとりあつかうメルロ = ポンティへの言及に熱がこもっているとおもう.最近の文献であることから昨今の議論が反映されていることを期待している.【なお,‘哲学入門’と銘うたれた昨今の類書の類いのなかでは図抜けて出来がよい(手軽さと確かさのバランスがよい)とおもう.むろん東大出版の『哲学 原典資料集』といったもののほうが中身は濃いが,新書の類いである安っぽさ = 取りまわしのよさがよい】

木田元現象学』(岩波新書,1970):フッサール現象学の概観,また初期・中期・後期という展開をつかむのに手ごろな文献だと感じた.それらを一括した総説では分かりにくい or シンプルに過ぎる「現象学的還元」や「志向性」などのキーワードの把握によいようにおもう.おおよそ時期に応じてのフッサールの問題意識の紹介といった内容で,細かい学説の紹介をしないことも見とおしがよくてありがたい.ハイデガーサルトル,メルロ = ポンティの思想も紹介されている.メルロ = ポンティの紹介は本書の半分近くを占める.なお,1970年の出版であるだけにところどころ‘時代’を感じる記述がある(ゲシュタルト心理学マルクス主義への言及など).ただし逆に,現象学と1970年ごろの思想状況との絡みを概観するにはよいかもしれない.

谷徹『これが現象学だ』(講談社現代新書,2002):フッサール現象学に焦点をあてている.フッサール現象学の基本的キーワードについて身近な例をとりわかりやすく説明してくれているようにおもう.ただし個々のキーワードのとりあつかいが丁寧なだけに‘フッサール思想のマップを描く’にはかえって向かないようにおもった.地図というよりも事典といった本.

新田義弘『現象学とは何か』(紀伊國屋新書,1968 → 講談社学術文庫,1992):学術文庫版の解説(鷲田清一)によれば「フッサールの後期思想を,残された膨大な草稿群の研究を軸として徹底的に検証し,それが最終的に逢着した問題次元を明らかにする,そしてその作業を通じて最終的に,フッサール現象学の展開を西欧の哲学の歴史におけるもっとも本質的な出来事の一つとして描きだすという,壮大なモチーフに貫かれた書物が,まるで入門書のような体裁でそっと上梓された」「けっして平易ではない現象学の術語を駆使して書かれた,きわめて専門的な本である」.入門書とおもって購入した私はえらいめをみました.まだ読んでません.

古東哲明『ハイデガー = 存在神秘の哲学』(講談社現代新書,2002):出版当初は『存在と時間』を覗いてみても何のことやらサッパリで「ハイデガーってアレだろ.教え子に手を出すわナチスイカレるわパウル・ツェランを絶望させるわってぇサイテーオヤジ」とおもっていて,その上にこのタイトルで読む前から毛嫌いしていた.すすめられて読んでみるとおもしろかった.『存在と時間』にとどまらないハイデガーの思索の全体像を紹介している.「そのまるで宇宙人のようなハイデガー.そのかれが,これまたエイリアンのような少女と,恋におちた」といった文章だけで笑えます.それにしても「しかも神秘だなどと,イカガワシイぞ!/そんなおしかりの声が,とんできそうである」って,そう思うのでしたらこのタイトルは止してほしかった.

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フッサール現象学のテキスト(木田元現象学』より)
フッサール現象学の展開は大きく3期に区分される.それぞれの時期に,現象学の理念そのものが根本的な反省を受けて深められてゆく.そこには「当時の実証主義的風潮に対する批判」という一貫したモチーフがある.:

初期:『論理学研究』(1900-01)など:心理学主義批判――数学的思考や論理学的思考も心理現象の一種であり心理学で解明できるとする思想を批判.なお増補改訂版(1913以降)の第2巻の内容は初版と異なる【邦訳は増補改訂版】.その他,『内的時間意識の現象学』(1904-05),『現象学の理念』(1907)など.

中期:『純粋現象学および現象学的哲学の構想(イデーン)』(1913)など:自然主義 Naturalismus 批判――意識という現象やイデア的なもの(数学や論理学の概念や法則),倫理・道徳的規範も自然の産物だとする思想を批判.基礎学としての超越論的現象学.その他,『厳密学としての哲学』(1910),『ブリタニカ草稿』など.

後期:『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936)など:近代の実証主義批判――近代科学のように自然を客体化・数量化して観る態度は生きられる世界(生活世界)の隠蔽をもたらし,現象の本質を見誤らせると批判.生活世界の現象学.経験諸科学により得られた未反省な知見を反省しその意味を読み解こうとする‘開かれた現象学’へ.『形式論理学と超越論的論理学』(1929),『デカルト省察』(1931),『イデーン』第2巻,第3巻(『フッサリアーナ』第4,第5巻として死後公刊)など.多くは草稿として残される.

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現象学以前のフッサールの文献には以下のものがある.
1887「数の概念について」
1891『算術の哲学』:記述的心理学の立場からの数論の心理学的基礎づけを試みる.数の概念を「数える」という作用の心的所産だとする観点から,ワイヤシュトラウスクロネッカーのあいだの論争(基数と序数のいずれを基本数とみなすか)に決着をつけようとした.

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後継者のもとでの現象学の展開は,ハイデガー存在と時間』(1927)に代表される段階,そしてフランス現象学派(サルトル,メルロ = ポンティら)に継承される段階(1930年代〜)がある.なおサルトル実存主義は『イデーン』第1巻(1913)に依拠し「現象学に,いっさいの受動性から解放された透明な意識の,一挙にして果たされる自己開示を見ようとする」.メルロ = ポンティによる《身体》の現象学は後期フッサールの「生活世界の現象学」の影響圏に属する.メルロ = ポンティにとって「現象学とは,徹頭徹尾世界のうちにとりこまれ自分自身にもその半身しか見えない意識の,完結することなき自己省察なのである」.

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