3.展開:「自明性の喪失」から「他性」へ

【ありがち.古色蒼然――というより他人の褌.でも改めて読み返すと色々おもしろかった】
小出[1996]の指摘:ブランケンブルクは『自明性の喪失』において非自明性と「自立」とを密接に関係するものとして捉えている.これは「分裂病とは無理な自立の病いであり、非自明性とは自我の弱さである、と言っているのと同じこと」である.

事実彼はこの後すぐ、自我の弱さについて論じている。ここで、彼はこの自我の弱さに関してアンネの言葉を挙げて、分裂病において問題となる自已信頼は「(非分裂病者に見られる)自己実現に関する自然な内気さ」ではなくて、それとは「別種の不自然な故障」であると述べている。そしてこの両者の「微妙ではあるが重要な差異」は自然的ないし経験的自己と、超越論的自己との差異である、と言う。しかしこれに引き続いて彼は「この両者の関係を規定することは困難であり、両者は同じものでありながら、しかも異なったものである」、と甚だ暖昧なことを述べている。そして結局分裂病者において「まず第一に問題になるのは超越論的自我なのであって」、神経症者や精神病質者で冒されているのは経験的自我である、と言う。しかし彼自身が言うように「自已自身への固執は、経験的自我がどの程度冒されているか、超越論的自我がどの程度冒されているかに応じて、幾通りにも分類できる」のであって、これでは分裂病神経症との本質的な差はなくなり、程度問題となってしまう。(小出[1996],p.97)

【その後の小出の論の展開:木村とブランケンブルクの論の違い → 木村の「絶対の他」=フロイトの「死の欲動」.「絶対の他」の他性は,木村の分裂病論において,分裂病にみられる「他性」の根拠となっている.分裂病論においてはこの「他性」こそとりあげるべきだったのではないか.略】