うそとパラドックス

内容整理のための抜書き.私用仕様で徒に長いです.

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▼推論と命題(あるいは事実)

推論(1):A → B,かつA(前提),ゆえにB(結論)
推論(2):A → B,Bでない(前提),ゆえにAでない(結論)

推論の正しさと,前提や結論となる文(A,B等)の真偽とは違う.たとえば結論Bが偽であるからといって,(1)の推論の正しさがくずれるわけではない.Bが偽であるなら,たとえば(2)の推論のように前提の一方の否定を推論できる.これはもとの推論が正しいことによる.(p.57)

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例:「カラスが白い」(A)ならば「太陽が西から昇る」(B),という法則(推論)
「太陽が東から昇る」ことが事実であるとき,「太陽が西から昇る」ことは事実として否定される(偽である).しかし事実Bが否定されても,A → Bという法則が否定されたことにはならない.「カラスが白いならば太陽が西から昇る」という「文全体」【法則,推論】と,「太陽が西から昇る」という「文」【事実,命題】とはことなる.(関連:p.22.,p.48)

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▼文(命題)と事実(ウソつきパラドックス
(1)人物Aの発言:Bの発言(2)は偽(ウソ)である.
(2)人物Bの発言:Aの発言(1)は真(本当)である.

(1)の文は真か偽である.もしAの発言(1)が真であるならば(1)の文は真である.すなわちBの発言(2)は偽である.しかし発言(2)が偽であるならば,「発言(1)が真(本当)である」という文は偽である.すなわち発言(1)は偽である.このとき発言(1)は真かつ偽となる:矛盾となる.
これはウソつきパラドクスの一型である.

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ある事件の容疑者A,Bがいる.A,Bのいずれかが犯人である.

(3)容疑者Aの証言:Bの証言(4)は偽(ウソ)である.
(4)容疑者Bの証言:Aの証言(3)は真(本当)であり,かつAは犯人である.

もしBの証言(4)が真であるならば(3)の文は真である.すなわちAの証言(3)は真である.しかし証言(3)が真であるならば,「証言(4)が偽(ウソ)である」という文は真である.すなわち証言(4)は偽である.
証言(4)が偽であるとき,(i)「証言(3)は真である」が偽,(ii)「Aは犯人である」が偽,という2つの可能性がある.可能性(i)においては矛盾が生じる.しかし可能性(ii)においては(3)真,(4)偽,Aは犯人ではない,という可能性がのこる.

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(1)から(3)の文(命題)は,文(発言,証言,命題)の「真」「偽」について述べている.この「真」「偽」は文の‘外’にある「事実」と照らし合わせることを求めているように感じる(事実との対照によってあらためて「真」「偽」が定まる):(1)が事実として真である(事実と一致する)とすれば,(2)の発言内容は偽となる.このとき(2)は事実と一致しない.すなわち事実としてAの発言(1)はウソである.

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(1)の発言内容「発言(2)は偽」は,発言(2)の真偽が定まってはじめて真偽を定めることができる.しかし発言(2)の真偽が定まるためには発言(1)の真偽が定まることが必要となる.ここには(1)の真偽が定まるためには(1)の真偽が定まることが必要だという循環,真偽とその根拠の悪循環がある.

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▼パラドクス各種
ベリーのパラドクス:自然数を「名づける」ことを考える.「名づける」とは「定義する」ということである.自然数7は,数字「7」でも「3+4」でも「5より大きい最小の素数」でも名づける(定義する)ことができる.二十五字以内で名づける(定義する,指定する)ことのできない自然数はたしかに存在する(たとえば二十六桁の自然数).このとき

(1)二十五字以内で名づけることのできない最小の自然数
を n とする.このとき(1)より
(2)n は二十五字以内で名づけることができない.
しかし(1)の句は二十四字しか含んでいない.ゆえに
(3)n は二十五字以内で名づけることができる.
(2)と(3)とは矛盾である.

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グレリンクのパラドクス:形容詞について考える.言葉の性質も形容詞によって形容される.たとえば「短い」という形容詞は短い.「長い」という形容詞も短い.ここで自分自身に適用できる形容詞,すなわち
(4)「K」はK(である)
の条件をみたす形容詞を「自己形容的」と形容する.この条件をみたさない形容詞は「非自己形容的」とする.たとえば「短い」は自己形容的,「長い」は非自己形容的である.
さて,「非自己形容的」という語も形容詞である.それでは「非自己形容的」は自己形容的か,それとも非自己形容的か.

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▼意味論的,構文論的
嘘つきバラドクスは「真」「偽」という,文と事実との関係をあらわす概念がかかわる.またベリーのパラドクスでは「名詞句とそれが名指す対象との関係」が,グレリンクのパラドクスでは「形容詞とそれが記述する「ものの性質」との関係」が問題となる.これらのパラドクスではいずれも,言語的表現(文,名詞句,形容詞)と,それらによってあらわされるもの(事実,対象,性質)との関係が不可避にかかわっている.

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ここから論理学における「意味論的」と「構文論的」との区別がなされる(p.193).
意味論的関係:言語的表現(文,名詞句,形容詞)と,それらによってあらわされるもの(事実,対象,性質)との関係.言葉による表現の「意味」が含んでいる言葉外のものとの関係.

構文論的関係:言葉や言語的表現自体がもつ構造的な性質との関係.構文論的である述語は,言語内の構造にのみとどまる.たとえば

(5):この文は11字からなる.

この文は,文自体のもつ構造的特徴を記述している.このとき「11字からなる」という述語は構文論的とされる.
(5)の文は,自己言及をふくんでいるが,(5)の文の真偽をきめる「根拠」は「11字からなる」という述語の意味と,この文全体の構造により与えられる.ここには真偽と根拠の逆転はない.たとえば

(6):(5)の文は11字からなる

という文(自己言及を含まない)には,(6)の真偽の根拠が(5)の真偽そのものに依存するという根拠と真偽の逆転はない.そして(6)の文と同じく(5)にも根拠と真偽の逆転は無い.

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(a)文の真偽の根拠と(b)文の真偽とを区別し,(a)は(b)に先だって((b)に依存しない形で)与えられることが必要であるという条件を課せば,意味論的パラドクスを防ぐことができるだろう(p.195).
たとえばベリーのパラドクスにおいて,
(1)二十五字以内で名づけることのできない最小の自然数
という名詞句が一義的に対象を指示するとし,その対象である自然数を n とする.このとき,
(2)n は二十五字以内で名づけることができない.
の真偽の根拠は(2)の真偽には依存せずに,(2)に先だって与えられている.その根拠を(1)とする;(1)の句の字数にもとづいて n が決定されるのであれば,(1)の句の字数は二十四字であるから(2)は偽であり,同じ根拠にもとづいて
(3)n は二十五字以内で名づけることができる.
が真である.
一方,(2)の真偽の根拠を(1)の句ではなく,そもそも(1)をみたす指示対象を一義的に決定するときの根拠となった名詞句とする.その字数は二十五字より大である.この根拠にもとづくなら(2)は真であり,同じ根拠により(3)は偽となる.ここに矛盾はない.

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形式主義

意味論的自己言及は容易にパラドクスを生じる.一方,構文論的自己言及は真偽とその根拠との逆転,悪循環を含まない.それゆえ,論理や数学を記号の構造・形式にのみもとづいて展開できる体系とみなせば,そこに意味論的概念は不要であり,パラドクスを防げるのではないかと考えられる.この考えの中心にあるのは,「AからBが論理的に出てくる」ための本質的条件は,AやBの構文論的構造にのみ依存する(AやBにふくまれる言葉の意味に依存しない)というアイデアである(p.204).このアイデアからヒルベルト(1862-1943)の形式主義が提唱される.
ただし,記号の形式的操作による体系の展開のなかで,形のうえで
(1)A,かつAでない
という矛盾の形をもつ式(「構文論的矛盾」とよぼう)が導かれたとき,この体系の記号の形式的操作だけで,ありとあらゆる形式の記号式が導出されることになる.これは論理や数学の体系としては望ましくない.そこで「構文論的矛盾は導かれてはならない」ということ(系の「無矛盾性」)は論理や数学の記号体系の要件とされる.
形式主義では論理や数学の記号体系をつくり,その無矛盾性を示すことに力点がおかれる.論理的証明を,記号の形式的演算とみなし,その種々の構文論的性質をしらべる研究は「証明論」とされる.証明論は,無矛盾かつ,強力な集合論をつくるにはどのような公理が必要かを調べる公理的集合論とおなじルーツをもつ.
一方,形式主義の記号体系が,われわれが直観的に理解している論理や数学とどのように関係づけられうるかを調べる研究は「意味論」ないし「モデル論」とよばれる.意味論,モデル論では記号に意味を与え,記号の体系を別のもので解釈したり,記号式を真とするモデルを探す,もしくは構築する.ここには「意味」や「真偽」の概念が入ってくるため,意味論的パラドクスの本性をあきらかにし,それを避ける方針を示す必要性がある.
記号体系にそくして「意味」や「真偽」の概念を分析・定義する過程において,さまざまな意味論的パラドクスは論理学的研究の対象となり,そしてウソつきパラドクスからはゲーデル不完全性定理(1931)およびタルスキーの定理(1933)という,現代論理学においてきわめて重要な2つの定理がうまれることになった(p.206).

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