遅れてきた青年(2)

somamiti2006-06-09

五木さんから『ワールズ・エンド・ガーデン(ISBN:410125012X)』を送っていただいた.また‘ソマミチならこういうの好きでしょう’とばかりにジョナサン・キャロル『炎の眠り(ISBN:4488547036)』を同封していただいていたのだけれども,あまりにストライクゾーンに入りすぎていて既読文献であったことが何ともこそばゆい【画像は手持ちのほうの『炎の眠り』の表紙.クリムトの『ダナエ』(Danae (1907/1908)のアレンジという点でお気に入り】
『炎の眠り』のみならず作者のジョナサン・キャロルそのものに耽溺した時期があったため,この方の邦訳された著作はほとんど読んでいた.あまりに寡作なこともあり近年,すっかり忘れてしまっていたが,送ってもらった本の巻末作品リストをみると新たに『犬博物館の外で』『沈黙のあと』の2作が出版されている模様.とくに『犬博物館の外で』というタイトルはこれまたかなりストライク.

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『ワールズ・エンド・ガーデン』をパラパラとみかえす.それにしても懐かしい.というよりも古い.作品の刊行は平成三年,文庫化は平成五年.いまから10年以上前のことである.
文庫の解説によれば「単行本の「献辞」において作者じしんが記すとおり,この「世紀末の庭」には,『聖書』や『コーラン』のみならず,いたるところに「古今東西のテキスト群」の断片が移植されてある」とのことであるが,そこで「召喚」される「テキスト」として解説において言及されているのは,たとえば高橋源一郎『さようなら,ギャングたち』,島田雅彦『未確認尾行物体』であり,中上健次とその『枯れ木灘』『地の果て 至上の時』であり,また解説そのものにおいては「器用仕事(ブリコラージュ)」「『消費社会の神話と構造』のジャン・ボードリヤール」「ポスト・モダニックな仮面の戯れ」「〈自己〉の同一性をめぐるいかにも十九世紀的な死」であり「連合赤軍浅間山荘事件」であり「湾岸戦争」であるというキーワードたちが召喚される.
それにしても,たとえば「広大で虚ろな闇,広大で虚ろな謎さえも,もはや根こそぎ奪われて存在しない. / カラリと笑いたくなるほど虚ろだった.何ものでもない自分はただ立っている.一切を奪われて,この終わりの庭に立っている.いや,終わりの庭でさえないと思った.……」という文章には,古さと親近感とをともに覚える(懐かしさ,ノスタルジー).
10年ほどまえ(というよりも,おそらくは20年ほど昔.1980年代半ば)にはおそらくこのような気分がいかにも「現代」的なものとして扱われていたのではないか――と,古本屋に並ぶ本を読んでいると感じる.今はどうなのだろう.ちかごろはもっぱら古本ばかり読んでいるのでよくわからないけれども,このような感覚はもう流行おくれですっかり「古い」ものになってしまったのかもしれない.もしくは,すっかり流布し拡散しきって,もう殊更に言い立てるほどのものでは無くなってしまったのかもしれない.

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古いといえば,昨日付けの日記(id:somamiti:20060608)で挙げた文献も,そうとうに古いものばかり(1960年代,もしくはそれ以前).精神病理学はとっくの昔に終わっている学問なのかもしれない.そういえば『20世紀精神病理学史(ISBN:448008892X)』によれば,分裂病中心主義をとった20世紀の精神病理学のムーブメントは1970年代初頭に絶頂に達しながら,そこから衰退の一途をたどり,1980年ごろにはすっかり忘れ去られてしまったという(id:somamiti:20050125).
先日聴いた「精神病理学入門」では以下のようなことが述べられた:身体病理学が「客観」化される現象(症状)とその身体的原因をとりあつかう一方,精神病理学はあくまで「主観」的なものをとりあつかう;丹念に記述された現象(症状)さえも病者の体験(とくに幻覚や妄想,気分など,病者の語りによって提示される体験),すなわち「主観」でしかない.それゆえ身体病理学とは異なり,精神病理学の方法として自然科学的研究をおこなうことはできない.精神病理学は結局のところ個人的なものの見方(見立て方)にすぎない.天上にばら撒かれた星たちを星座 constellation として型どって見るようなものである.そこには「進歩」はない.現代人の「見方」が古人の「見方」より「進歩」しているなどとはいえない.
講義の文脈ではさらに‘だから,100年前の著作にも現代の私たちの臨床に活かすことのできる物の見方が書いてあることもある’という旨のことが述べられた.しかしまた‘精神現象は社会のありかたを反映する.それゆえ社会のありかたにかんする知見は精神病理学にとって有意義である’という.とすれば,私たちの時代-精神の布置 constellation をみるために古人の星図をそのまま流用できるとはかぎらない.

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それでは,「分裂病」や「抑圧」にかわって,これから(現代,そして未来)は「多重人格」と「解離」の精神病理学こそを up to date なものとしてブラッシュアップしてゆくべきだ,などというスローガンを設定しても,それこそがもはや古色蒼然としてみえる【というよりも,それってピエール・ジャネ(とウイリアム・ジェームス)の精神病理学ってことですかと型にはめて考えるなれば,それこそフロイトやブロイラー,クレペリン並みに「古い」】.

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まとまりません.

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追記:流行りものは古くなるし,おそらく関係ができればほおっておいてもいずれ‘向うからやってくる’ようなものであるように感じる.とりあえずは自らの興のおもむくところ,問題としたいところを突き詰めてゆけばいいようにおもう.