マクドナルド

近所にあるマクドナルドは休日の午後になると買い物がえりの若いお母さんと小さな子どもたちとでいっぱいになる.マクドナルドのメニューはどれもこれも子どもが好みそうな味で,さぞかし子どもたちは悦ぶのだとおもう.
【そういえば小学生になるかならぬかのころ,親につれられて街にお出かけした折りにマクドナルドに入ったこと,そこでアップルパイを食べたことを覚えている.改めて食べてみると揚げ春巻きめいた外側はサックリして油の旨味があり,アツアツのジャムめいた中身はコッテリと甘く,これはたしかに子どもが好きそうな味だと感じた】

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近年の疫学調査では肥満(BMI≧25)の子どもたちが増えているという.街を歩いていても丸々と肉付きのよいガキども(失礼)をよくみかける.【これからその子どもたちが成人するにつれ,肥満や糖尿病,さらには動脈硬化,心疾患,脳血管障害などはますます増えてゆくのだとおもう.商売繁盛で喜ばしいというよりも医療費への圧迫が気にかかる】.先日,肥満などにかかわる文脈でマクドナルドのジャンクフードについて触れた.とはいえ昨今の子どもたちの肥満傾向はマクドナルドだけの責任ではない.にもかかわらず肥満した子供たちとマクドナルドとのつよい結びつきを感じる.そこには強い嫌悪感がともなう.このときマクドナルドは一つのシンボルなのだろう.

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以前,マクドナルドのことは嫌いではなかった.というよりも安くてお手軽ということで好んで食べていた.マクドナルドが嫌いになったきっかけは‘乳幼児を連れた母親が緑こぼれる公園のベンチでマクドナルドのハンバーガーを食している’というCMをみたことだったとおもう.
懐のさみしい学生が長居できる場所(おまけに冷暖房つき)は多くない.そこで図書館の閉館日にはマクドナルドでレポートや試験勉強をするのが常だった.午後の時間に丸々とした子どもがキーキーはしゃいでいる姿や母親めいた女が気だるそうに叱責する声を見聞きすると気分がささくれた.マクドナルドと母親と太った子ども.黄色や赤の装飾.CMのなかの母親と乳幼児とマクドナルド.木々の緑.転がりまわっている.涎を垂らしながらムームーと鳴き交わしている.

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マクドナルドへの嫌悪感は家族めいたものや生々しい肉体へのそれと似ているようにおもう.子どもの頃は親が嫌いだった.それは親を過度に理想化していたからだろうと今となってはおもう.マクドナルドへの嫌悪感はそれに似ていて,ちょっとした理想化の粉を降りかけられた家族の姿(ないし母子像)やよい食べものや幸せのイメージと,実際に目のあたりにすることになる姿かたちとの隔たり.

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その他,このところ『知の構築とその呪縛』を読了し,そのなかの「フッセルは自分で幽霊を作り上げてそれとたたかっているように見える」(p.146)という一文に励ましをうけて『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を読みはじめ,佐藤友哉の『水没ピアノ』と『鏡姉妹の飛ぶ教室』を例によってBOOK OFFにて購入および読了し,残念ながら『エナメル〜〜』ほどには楽しめなかったとがっかりするなどしておりますが,血液コースの試験がせまってきておりますのでブログはほどほどに.