連想

レトリック認識 (講談社学術文庫)』という本を読みました.いわば認識のツールとしてのレトリックという切り口でとくに第5章の対義表現と逆説,また第6章の諷喩(アレゴリー)に関する話がとても興味ぶかかったです.第6章にかんしては下記にメモ.いわば構造モデルとしてのアレゴリー;分けの解らないモノゴトの系列を,構造化(分節化?)されたモノゴトの系列で‘喩える’ことによって構造を与え,それにより分節・分解可能な構造物としてあらためて表現ないし認識する,そのようなツールとしてのアレゴリー
‘細胞外液の組成が海水に似ている’ということから細胞外液を「海」に喩え,ヒトの体の細胞のことを海にうかぶプランクトンとしてイメージしたり,タンパク質の袋のなかの「海」とそこで息づく「細胞」たち(そしてそのネットワーク)としてヒトの体を思いえがいたり,RAAシステム【id:somamiti:20060127#p5】が腎臓と肺胞の双方にかかわっていることも‘これが生物が地上へ適応するプロセスで発達してきたシステムなのであれば,腎と肺の双方と密な関連をもっていて当然だよなあ’などと一人合点していた折りだけに,いろいろと夢想もひろがり楽しみました.

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『レトリック認識』ではさまざまな本からレトリックの事例が採られていました.引用もとのうち,とりわけ川端康成の『舞姫』が気になったので例によってBOOK OFFにでかけ,めあての本はなかったので代わりに森鴎外の『阿部一族舞姫』および『山椒太夫高瀬舟』を購入.さらに,佐藤友哉の『エナメルを塗った魂の比重』をみかけてしまったのでこれも購入.とはいえ,もうしばらくは先日図書館から借りてきたガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んでいることでしょう(久しぶりに楽しく読書をしている気分).

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【と書いたところがつい終わりまで読んでしまった.個人と一族と街,予言と歴史と叙述とが合わせ鏡や万華鏡のような像を結び,細部の目の詰まり具合は気持ち悪いほど生々しく,すばらしかった】【わけもなく数年前の夢のことをおもいだした.祖父母の家の納屋だか蔵だかを覗きこむとその奥の神棚のまえにが猿がいてこちらを見返しているという夢】