回 → 答

いえ,あなた,はじめて赤ちゃんの笑顔を見た母親の喜びっていうものは,罪びとが心の底からお祈りするのを天上からごらんになった神さまの喜びと,まったく同じことなんでして.(『白痴(上) (新潮文庫)』)
id:somamiti:20051002での疏水さんのコメントに関して.

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人工知能には人間の知能の模造(シミュラクル,シミュレーション) and/or 理念型(モデル)というイメージがありますが,さらには人間の「知」のための問答のパートナーとしての位置づけもあり得るかもしれません.

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人工知能とは少し異なる話になるが,かねてから‘脳を創る’という分野にはよくわからないまま憧れをいだいている.
http://www.brain.riken.go.jp/japanese/b_rear/b3_lob/b3_top.html

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アリストテレスによれば,人間は自然の一部でありながらその性質には自然を超えるものがある.人間は自然 nature のただ中に生きて,しかも自然 nature を踏み超えてゆくことが,なお自然 nature であるような存在である:たとえば,人間は自然をかくあらしめている原理・原因を知ろうという願望をもつ.そうした原理を我がものとすることによって人間は色んなものを作ることができる.人間は原理から「新しく」作るもの,「新しく」知るものである.その作動力に満ちた思考の源泉が理性(ヌース)である.人間は原理を知ろうとする.そのかぎりで,自ら原理たろうとする存在である.

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プラトン主義において,Aから流出したBはAへと向き直り,Aを観-照する.それによってBはAと似たものとなる.一者からは理性(ヌース noos,知性)が流出する.理性は一者へと向き直ることによって(一者と似た)理性となる:「一」は完全であって,何も求めず何ももたず何も必要とせず,いわば溢れ出し,そのありあまる豊かさが〔自らと〕異なったものを作ったのである.この生まれたものがあの「一」へと向きを換え,そこで満たされ,「一」を見るものとなったとき,それが理性である.かの「一」に対するそのものの位置がその存在を成り立たせ,「一」を見るまなざしが理性を成り立たせている」(エンネアデス,第五巻第二篇)

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脳や神経系の説明に工学的な例えがもちいられることがある.‘前頭前野はワーキングメモリの機能を果たしている'‘長期記憶と短期記憶の違いは,いわばハードディスクとメモリの違いのようなものだ’など.また生物の構造を合目的な・首尾一貫したものとして把握するために機械や道具をモデルとして用いることがある(例えば心臓の‘ポンプ機能’といった表現).

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人間そっくりの知性(機械)をつくろう.首尾よくいけば,その知性の動作原理こそが人間の知性の動作原理なのだ.人工知性の人間性は,その機械とのコミュニケーションによって測られる.問いかけと回答を繰り返してテストをする(チューリング・テスト).そうしたやりとりが人間とのそれと区別がつかないのであれば,それはもう人間だ.

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産み出したものAと産み出されたものBが向かいあう.AとBとの対話によってあきらかになるのはAの知性(理性)Xの正体である.XはAのうちに孕まれていた原理であり,またBを産み出す原理となった.目の前に現れたBはAとして振る舞う.その振る舞いのうちにXの宿りがある.Xが受肉する.Xが孕まれる.
いまやAとBはXを分有するだろう.そのXはAを産出したOからAに与えられたものである【と仮定される】.AとBとの関係は,OとAとの関係のアナロジーとなる.【以下,たとえばAがXを‘孕む’ということをA(X)と表記しよう】.B(?)のなかにA(?)がXをみる.このとき,A(?)の位置はA(X)を産み出したO(X)と等しくなる and/or A(?)にとってB(X)の位置はO(X)の位置に等しい.【A(?)がA(X)である(ことが明らかになった)ということは,A(?)がO(X)のほうを振り返り観るということなのだから】