怖い話

貧しき人びと』(ISBN:4102010068)を読んでいる.「小心者で善良な小役人マカール・ジェーヴシキンと薄幸の乙女ワーレンカの不幸な恋の物語」【表紙カバーより.それにしてもヒロインを評して‘薄幸の乙女’とは――かえって清々しい】.作者への先入見もあって‘いまはほんの少しの幸せを味わっている2人であるが,きっとこの先ろくなことがないのだろう’とおもうとなかなか読みすすめることができない.そういうわけで一晩につき書簡一つのペースで読んでいる【この小説は往復書簡形式で書かれています】
『図書室の海』をしばらくまえに読了.「ピクニックの準備」を読んだために『夜のピクニック』が読みたくなる.「睡蓮」は解説などではとくに言及されていないが『麦の海に沈む果実』につながる話なのだろうか.ラストの情景――夜,沼に英和辞書を沈める――がとても美しいと感じる.もっとも強い印象を感じたのは「ノスタルジア」である.それはあるシーンの印象によるところが大きい.

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テレビやビデオの登場人物が画面越しに‘こちら側’を‘視る’‘ふりかえる’あるいは‘呼ぶ’といったモチーフが一頃,ホラー作品などで度々用いられていたようにおもう【たとえば『リング』や『呪怨』など】.TV画面の‘彼方’は‘彼岸゜であり,それゆえ彼方からの視線や呼びかけがあることは,いわば彼岸と此岸が地続きになること,彼岸が此岸に侵入してくることと等価なのだ――と解釈することができるだろう【いかにもありそうな解釈――と感じますが】.そのように考えると画面のむこうに映し出される光景は「むかしむかしあるところ」の記録(あるいは記憶)なのであり,それはまた「むかしむかしあるところに」いたはずの「おじいさんとおばあさん」の住みか【世界,領域】としてふさわしい――という読みも成り立つだろう.
【そうして辞書とは,とりわけ外国語の辞書とは,そうした異国の記憶の堆積物としてふさわしい物品であり,それゆえにまた沼の奥深いところに葬送される――そしてそれは‘ソコに在る(潜在している)’と主張しうる点において単なる消去とは等しくない――いわば記憶するということとまさに等価な行為であるようにおもう】【生活史や意味の記憶が形成されるうえでは,外界の刺激により得られた情報(知覚,情動,etc)が,いったん意識野の外にゆく(忘却される)というプロセスがあり,それこそが記憶が要請されることの大きな要因なのだから】
しかし,そのように画面の彼方の対象から‘視られる’‘呼ばれる’という体験にまつわる感情は,それまで一方的に物として【‘此方を視る’ということを為しえない物 object として,ひいては此方からの視線を‘感じる゜ことさえもない感覚なき物 object として】とりあつかっていた対象 object が,突如として‘眼を開き’‘こちらを眼差して’‘語りかける゜ことに――視ている此方と少なくとも同等の主体 subject であり主観 subject を具えた客体としてあらわれることに――そこに,ときに恐怖を感じるものとして位置づけられる体験の本質があるように私はおもう.
【ここで客体に対象とおなじ object という語をあてるとよりゴチャゴチャになりますね】【とすれば,主体が関係する項としての「客体」と「対象」に統一した語を与え,主体 subject ではない(‘心’をもたない)ものとしての「物」や「対象」には主体 subject の対概念として object ないしそれにふさわしい語を統一して与えるべきなのでしょう】【なお object は「向こうに・前に・何者かにたいして(ob)投げだされてあるもの(ject)」,subject は「下に・根底に(sub)投げだされてあるもの(ject)」という意味のラテン語に由来する言葉だそうです】