コルシア書店の仲間たち

『コルシア書店の仲間たち』を読む.須賀敦子さんの書いたものを読むのはこれが初めて.適当に乾いていながら時おり色彩を感じる,好きなタイプの文章だ.

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コルシア・デイ・セルヴィ書店。ミラノの都心、サン・カルロ教会の物置を改造してはじめた、小さな本屋。といって単なる書店ではない。作者によれぱ、一九三〇年代に起きた「聖と俗の垣根をとりはらおうとする『あたらしい神学』」の流れを受けついでいた。「司祭も信徒もなく、ひとつになって、有機的な共同体としての生き方を追求しようという」運動だった。だから、「書店の仲間たちは、たえず足並を乱しながらも、あたまのなかでは、つねにどこかで共同体を考えていた」。

コルシア書店は,60年代の学生運動の余波をうけ,教会側からの圧力により20年にわたる活動を停止する.本書ではこのコルシア書店にかかわりのある個性的な人々が登場する.

小柄な未婚の老女ツィア・テレーサ。大男でいささか傍若無人な詩人ダヴィデ・マリア・トゥロルド神父。寡黙で明晰なカミッロ。作者の夫となったペッピーノなどなど、じつに多彩な人物が現われる。どの人物も本当に魅力的だ。魅力的なのは誰もが自分の生き方を真正面から追い求めているからである。私は、イタリアには日本では考えられぬほどの階級差が戦後になっても残っていることを知った。けれど、登場する人物たちはその階級を越えて、互いを認めあっている。自分と違った性格や信条や好みを認めあう。
……
 『コルシア書店の仲問たち』は哀しい物語でもある。一人一人がやがて年老い、或る者は死に、別の者は自分の生きる場所を求め、それ故に別れて行くからである。
 けれど、作者が友人たちを一人ずつ、石を刻むように丹念に描き綴り得たのは、友を友として認め得たからである。たとえ土地を遠く違えようとも、また死別しようとも、自分の記憶のなかで友人一人一人が息づいているからである。記憶は過去のものではない。私たちは生きて行くなかで記憶を育み、記憶と共に生きる。人はたとえ死んだとしても、友情の網目のなかで生き続ける。そして私たちは大切な人々の記憶のなかで自分自身を発見するのである。
 人々はほぼ三十年後の作者の記憶のなかで息づいている。……

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作中の‘年齢とともに,人間はそれぞれの可能性にしたがって,違ったふうに発展する’といった言葉にギクリとした.